思いつくまま・・Rolfer日記

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主婦からRolferとして人生再建して12年経過。ロルフィング・ムーブメント・健康・・そして、マイペースに思いつくまま・・。

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「偶然」なんてありえない!

「犬好き・猫好き」とか「犬型・猫型」というが、「犬」と「猫」が象徴するものは何でしょう・・と

ふと考えて見て、思いついたのが、犬は「秩序」・猫は「自由性」という概念です。


どちらかというと、私自身が子供時代にシロ(猫)に育ててもらったせいもあってか、猫好きで

あると思うので、あまり客観的なものではないかもしれませんが。

犬だけ、猫だけという選択はないと思うので、どちらかといえば・・というあたりで、どちらかに

より強い傾向性を感じるというものでしょう。



私のように「自由性」をより強く好むものにとって「秩序」は時代遅れのように思いがちですが、

実はその「秩序こそ自由性を支えているものだ!」ということをようやく理解してきました。


これが、車の運転とか、スポーツとか、婚姻関係なんかで考えたら、ごくごく当たり前に感じて

いることなのに、いざとなると結構混乱しますね。


この混乱を招いている原因のひとつに、「偶然性」という言葉のマジックがあるんじゃない

でしょうか・・・?というのが、言ってみたかったことです。




そもそも、多くの科学者が後生大事にしている「ダーウィンの進化論」的に考えると、早い話が

なんでもかんでもミ~~~ンナ「偶然」が引き起こすことになっています。

そして、私たちの命も日常も、その偶然の集積の上に成り立っていることになるんですよね。


ということは、何一つ「因果関係を保証するものがない」のです。だって、「偶然」なんだもん。

こうなってくると、自分に都合よくまわっているうちはいいけれど、いざ自分が責任を負うべき

立場になった時に、何一つ信じられるものがない。


これは、大変に苦しい状況ですよ。やってみたらわかるでしょうけど・・・。


社会に出て、なにがしかの責任を負うべきポジションになればなるほど、この苦しさが増幅

するんですね、ダーウィン的「偶然主義」でいるとね。


アメリカなどは、そこへもってきて「自由性がずば抜けて強い」。だから、「自由」が生み出す

「差別化」という現象が受け止めきれないんじゃないでしょうか。


「差別」という言葉を悪用するジャーナリズムが多すぎて、もとの語源の仏教的解釈には

全く触れることもないままですが、「シャベツ」といって「公平」を意味しますよね。


だってそうでしょう。自由主義というのは、その努力を正当に評価することを前提になりたって

いるんですよね。この、正当な評価が「公平」という価値観ですから。


ある意味「平等」というのは、この「公平」を無視する方向に進むように見えるときがあるわけ

です。それでね、アメリカ人は「自分の努力は正当に評価されるだろうか・・?」という疑いを

常に持ち合わせなければならないんでしょう。そりゃ、夜が眠れないはずです。

今からでも遅くないから、国旗の色を三色(自由・博愛・平等)に変えるといいのでは・・。



この世に、真の平等があるとすれば、「生まれた者は必ず死ぬ」という平等と「人として

の一日は24時間である」ということくらいじゃないでしょうか。


この手加減抜きの平等以外は、すべてが「秩序のなかにおける自由性」の結果として

必ず「公平」に評価される。という「大秩序」があることを信じられなかったら、努力なんて

「それこそ、なんなのよ・・」の疑問から抜けられませんよね。


秩序と自由性というものは、平面的に考えるとまるで裏表か左右正反対のように思うかも

しれませんが、これを球体で考えると意外と単純に納得できたりするものです。

つまり、秩序を垂直軸方向・自由を水平軸方向にすれば、そのなかに球体・・つまり3次元

空間である私たちの存在世界があらわれたりします。



ちょっと端折りますが、「なんにも秩序のない偶然だけの世界で自由にやってたら、本当に

偶然うまくいく」確立に賭けるより、「きちんとした秩序のもとで自由にやったら、公平に評価

されてうまくいく」確立に賭けるほうが、少なくても負ける確立は低いんじゃないかしら・・。


そのことをプロの賭け事師が無言のうちに教えてくれてますよ。

だって、競馬・競輪・競艇・パチンコ・相場・その他もろもろどれひとつとって、経験という情報

ソースも含めて、ボ~っとしてて当たる確立なんてないに等しいから、ああやって赤鉛筆片手

に日々研鑽しているんじゃないでしょうかしら。


もし「偶然」が真実なら、彼らほど「目に見えない確立」の中をいきている人達はいないんです

から、明日からその場限りのぶっつけ本番で賭けに臨むことでしょう。

つまり、「偶然」なんてありえない!ということです。


それが、偉そうな学者さんがいうと「あるように聞こえてしまう」というところに、やっぱり私たち

の聞く耳のほうに「間違う原因」があるといえるんでしょうね。

だって、今は「言論の自由の時代」なんですから。

そして、様々な意見が出揃っているなかで、どれを選ぶかは私たちの聞く側の自由です

からね。
                                           2005.06.18
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by rolferK | 2005-06-18 22:28 | スピリチュアル