2011年 04月 02日
「自粛と不謹慎」を 「感謝と祝福」に ~桜 が ほころびはじめました~
その中に以下のようなご意見があり、私も改めて「自粛と不謹慎」を考えました。
*******ネット記事 抜粋*************
要は不謹慎の本質は行為そのものではなくて、
それを無神経に声に出しちゃう辺りが不謹慎だと取られてしまうのでは?と思うのです。
今回の震災で大車輪の活躍を見せているソーシャルメディア。
こんなときこそ明るく楽しく振る舞うことが大事ですが、影響力の大きさを考えれば
発言に一定の配慮をすべきなのは当然のことではないでしょうか。
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「自粛 と 不謹慎」・・・その言語の始まりは・・・・
今回の震災で、悲しみの中に復興を努力されていらっしゃる方々を思うと、
自分たちの”今まで通り”の行為をひとつひとつ見直すのは、自由意志としての
”優しさ”からのスタートですね。
でも・・・いつの間にか・・・・暗い罪悪感が様々に混じり合ってしまったように思います。
その最初の純粋な思いを 純粋なままに経済活動へと結びつけていく”キーワード”は、
「感謝 と 祝福」ではないでしょうか?
今、自分が”出来る”ことへの感謝
今、誰かが”出来る”ことへの祝福
日本中が、「感謝 と 祝福」のキーワードで語り合えたら、
きっと震災からの復旧は、力強く積極的になるでしょう!
桜の花も 毎年きっと 人々の心を 明るく 幸せにしたくて 咲くのでしょう。
震災後であれば、 桜もよけいに 人の心を和ませたいと 願っていることでしょう。
桜だって 懸命に咲いたその姿を 愛でてほしいことでしょう。
今年の桜は、 その姿を見た方々の心深くに 美しく咲き続けることができると、 そう思います。