思いつくまま・・Rolfer日記

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主婦からRolferとして人生再建して12年経過。ロルフィング・ムーブメント・健康・・そして、マイペースに思いつくまま・・。

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お盆・盂蘭盆・お中元

関西に嫁いできたことを強く感じるのは「祭事・年中行事」の折である。

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といっても、嫁いだ先が家業で忙しい家だったので、あまり大そうなことはしなくて済んだお陰でそんなに困った思いはしていない。が、娘には何も伝達せずじまいでここまできてしまっているし、これからも「どうするの?」と訊かれてもお答えの仕様がございません・・。


いずれは娘や息子もそれぞれの人生をそれぞれの住処で送るのだろうから、TPOに合わせ
てやってくれればいいだろう・・あとは、「郷に入っては、郷に従え」でその土地の習慣に素直
に従ってくれる心さえ持ち合わせてくれれば幸いであると思っている。


私もかなり「合理主義」の人間だから、若い頃は「中元だの、歳暮だの。見得でしなくても・・」
と親の成すことを疎んじていたりしたものだが、こうして様々な方々にお世話にならずには
おられない世の中であることが身に滲みてくれば、おのずとこの時期には「お中元」という
季節のご挨拶をと考える。


ところで、なんで中元と歳暮なんでしょう・・と思いきや、中元は「日頃の無沙汰を詫び」・歳暮
は「一年の御礼・感謝をする」ということだそうで、なるほど「詫びる」のと「感謝する」ことは
確かに似ているようでハッキリ違う・・なと、昔の方の知恵に感心している。


先日も法事で「お盆」についてのご法話を賜ったが、土地柄か親戚筋には「浄土真宗」が多く
真宗の院主さんによれば「阿弥陀様のお計らいによってお浄土に住まわれていらっしゃる仏
(亡くなられた方々)のかたがたには、盆というものは本来必要のないこと」だそうだ。


もともとの盂蘭盆(ウラバーナ)は、釈尊の弟子の亡くなった母親が生前の行いの過ちによっ
て地獄に落ちて、逆さづり(これがウラバーナの語源だそうですが)にされて苦しんでいるのを
修行僧たちで「供養」(精進して功徳をつんで得た光を手向けること)をしてあげるようにとの
釈尊のご指導で、無事にその母親を地獄から天国へと導くことができた。という、故事に
ちなんで行われる仏教行事だそうです。

だから「供養」ができるほどに「功徳」を身につけるために「精進・修行・難行」が必要になるん
だとか・・。でも、真宗では「南無阿弥陀仏」のお念仏さえも、阿弥陀仏のお陰で唱えさせて
いただくから、僧侶は修行・難行の必要がないし、「南無阿弥陀仏のお念仏のお陰によって、
全員が浄土(天国)に導かれる」から地獄に落ちる念仏者はいないので、お盆の必要がない
という有難いことでした。


でも・・と、ついひねくれ者の私は思ってしまうのですが、例えばすご~~い極悪人が
死ぬ間際に「南無(帰依いたします)阿弥陀仏」とお念仏を唱えさせていただいて、それで
天国に招かれたとしてですよ、「まぁ、新参者ですがこれからよろしくお願いいたします。」
なんて先住の皆様に親しくご挨拶ができたとしましょう。
そのうち、お互いに昔話(つまりは、生きてた時の話し)なんか始めたとしたら、もう恥かしい
やら申し訳ないやらで、まともに善人の皆様とは一緒に暮らしていけないんじゃぁないでしょうか。

私だったら、もうたまんないでしょうね。天国にいるということ自体が「地獄」のような苦しさ。
だって、周りの人の美しさがわが身の醜さをますます際立たせるように思えちゃうから・・。
なんていうか、良心の呵責・・っていうんでしょうか?
それも感じないで、「ああ、天国・・」なんて思える人間の方がよっぽど怖い。
やっぱし、極悪非道の人間でも、最後は真っ当な人間としての良心の呵責を感じて胸が
苦しい・・と言うんじゃぁなくちゃぁ、ワタシャ悲しいなぁ~~。

というわけで、いくら阿弥陀様が天国に連れてってくださっても、やっぱし自責の念で苦し
かったら、本人にとってそこは地獄になるわけでしょう・・?
心の底から「良かった!」って思えない限り「天国」にはなりえないよねぇ。

ああ、ちょっとでも多く「良かった!」って思える毎日を暮らそう・・。

なんてことを考えながら、「お盆」のお陰でちょっとはマシなことを考えられました。
有難うございました。
                                     2005.08.14
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by rolferK | 2005-08-14 18:39 | スピリチュアル