「ブルーな火曜日」(ブログ・内田樹の研究室)~によせて
神戸女学院大学教授であり、武道家(合気道)である「ウチダ・タツル」先生の著書「街場の社会学」をきっかけにして、時折先生のブログを拝見する。
今日、久しぶりにお邪魔して・・・オッ・・・という言葉に、無断拝借してきました。
内田先生、ありがとうございます。
以下にその部分だけを抜粋します。
私にとっては、釈尊が説いた「色心不ニ」(心と身体は同一のもので、別々に切り離して存在
することはできない。)という 教えを実感していますから、上記の先生のご論考には 時折
??的な立場になることもありますが、
という箇所には、Rolferという仕事をとおして 深く頷くところがあります。
ですから、自分の身体への対応が上手にできるようになっていくと、不思議と「人間関係」を
より円滑に進めていくことができるようになっている・・というオマケが、もれなくついてくるよう
です。
現代社会の「ストレス」の多くが、この「人間関係」の軋轢が原因となっているとすれば、
「変えることの出来ない他人」に不平をいうより、「変えることのできる自分」に取り組むほうが
ズ~っと 「急がば回れ」の近道であったりするのです。
半年後・一年後・・・今思いもしない、いえ、本当は思っているけれど「自己否定」してしまって
いる自分と出会っているなんて、考えただけでも嬉しくなりますね。
今日、久しぶりにお邪魔して・・・オッ・・・という言葉に、無断拝借してきました。
内田先生、ありがとうございます。
以下にその部分だけを抜粋します。
2005年09月21日
ブルーな火曜日(抜粋)
岸田秀の「共同体のアイデンティティは自我のアイデンティティと同型的である」という洞見には25年ほど前に腰を抜かすほど驚愕した記憶がある。
社会有機体説というのは、人間は社会構造をつくるときも自分の身体構造以外にモデルにするものがないという考え方で、岸田理論はそれを転倒してみせたわけであるが、まさに問題はご指摘のとおりこれがループをなしているということである。
つまり、社会構造は人間の身体構造をモデルに構築されているのだが、その人間の身体構造の方も、自分を含む社会構造をモデルにしてイメージされているのである。
現代日本の社会構造は中間的な共同体が解体して、二極化が進行しているが、これはそのまま現代人の自我イメージと重なっている。
個人の身体においても緩衝帯としての「中間的なもの」が消失して、権力、情報、威信、資本が「脳」に集中し、「身体」はメカニカルな操作対象の地位に転落している。
つねづね申し上げているように、脳と身体を二極化するのはすでにひとつの「物語」であって、実際には脳は身体の一部であり、身体はすみずみまで脳化されていて、二極分化ということは「現実」にはありえない。
私の脳は「あんこもの」を食べると活性化し、眠くなったり過度の飲酒をした場合にはまったく非活性的になる。
おなじように、私は身体の不調をつねに外在的な「病魔」がイノセントでピュアな私の「身体」を侵略するという「物語」に即して解釈している。
脳はフィジカルな器官であり、身体は物語を生きている。
にもかかわらず、脳と身体の二極化ということが「実感」としてリアルであるという事実は、社会階層の二極化が(まだ現実化していないにもかかわらず)すでに「実感」としてリアルであるという事実と並行している。
ある種の政治イデオロギーが身体変容さえももたらすということは現実にしばしば起こる。
きわめてファナティックな政治イデオロギーの持ち主はやはり奇形的な身体をしている(過度に病的であるか、過度に健康であるかどちらかである)。
健全な社会理論の持ち主は、原理的に「弱い敵との共生」ということを優先的に配慮しているので、たいていは「軽度の疾患」や「軽度の不全」とうまくネゴシエイトする身体を持つようになる。
「一病息災」という俚諺があるが、これはほんとうの話で、「めんどうな身体的な不全」とやりくりしながら生きている人は「めんどうな他者」とのやりくりにも同じ技法を適用することができる。
「息災」を「破局の到来をたくみにヘッジすること」という意味と解するならば、まさにそのとおりなのである。
私にとっては、釈尊が説いた「色心不ニ」(心と身体は同一のもので、別々に切り離して存在
することはできない。)という 教えを実感していますから、上記の先生のご論考には 時折
??的な立場になることもありますが、
社会有機体説というのは、人間は社会構造をつくるときも自分の身体構造以外にモデルにするものがないという考え方
つまり、社会構造は人間の身体構造をモデルに構築されているのだが、その人間の身体構造の方も、自分を含む社会構造をモデルにしてイメージされているのである。
脳はフィジカルな器官であり、身体は物語を生きている。
という箇所には、Rolferという仕事をとおして 深く頷くところがあります。
ですから、自分の身体への対応が上手にできるようになっていくと、不思議と「人間関係」を
より円滑に進めていくことができるようになっている・・というオマケが、もれなくついてくるよう
です。
現代社会の「ストレス」の多くが、この「人間関係」の軋轢が原因となっているとすれば、
「変えることの出来ない他人」に不平をいうより、「変えることのできる自分」に取り組むほうが
ズ~っと 「急がば回れ」の近道であったりするのです。
半年後・一年後・・・今思いもしない、いえ、本当は思っているけれど「自己否定」してしまって
いる自分と出会っているなんて、考えただけでも嬉しくなりますね。
by rolferK | 2005-09-23 18:09 | ワタシ | Trackback | Comments(0)

