思いつくまま・・Rolfer日記

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主婦からRolferとして人生再建して12年経過。ロルフィング・ムーブメント・健康・・そして、マイペースに思いつくまま・・。

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カテゴリ:スピリチュアル( 88 )

夏になると必ず「怪談」が盛り上がる。

なんせお盆のころになると、一週間近くも「地獄のふたが開く」のだそうだから、身近に怖い
話しが増えるのも当然かもしれない。


なんのこともないが、先日「脳死出産」の書き込み中 昔の「怪談」に内容が移ったとたんに、
足元から背中からゾワ~~ときた。が、幸いにも「母性愛」がテーマだったから、すぐに
気持ちをとりなおして「子を思う母」・・に気持ちをあわせていたら、ス~~っと温かさが戻って
きた。
人の意識というのは好むと好まざると「直通」だな・・と感心する。


この話しとは関係ないが、私なりにこのゾワ~~体験を通り越して「音は聞こえるような気が
するは、正直 映画館で映画を見ているような臨場感を感じたホラー」がひとつある。
あまり知られていないが、景山民夫氏の「ボルネオホテル」である。

景山氏はわたしより8歳ほど上であるし、既に亡くなっておられて当然面識もないが、彼の
霊感および霊能力はそれだけで「仕事」ができたくらいの強いもので、このホラーを書いて
いる間中の実体験自体がホラーになっているという2重構造をもっていることを 他の著書
で知っている。
ただ彼が見ようとしていたものが「怖いもの」ではなくて「正しさ」だっために、読んでいる私ら
には、それほどの恐怖の追体験を強制しないところが有難い。


普通のホラーはたぶんいかに怖がらせるか・・という観点がメインなんだろうけど、そんなこと
をしたら、書いてる本人が先にまいってしまう体質の作家もいるんですね。


で初めの「直通」の続きですが、結局本当に怖いのは「自分の思いが何を見ているか?何処を
向いているか?」のほうでして、それに気がつくと「反面教師」という存在ほど怖いものは
ございません!!という話しなんです。


まぁ、自分が一番気をつけなくてはいけないから記憶に留めるために書きますので、御用の
ない方は本当になによりです。


昔っから「嫌い嫌い・・と言ってる人ほど、だんだんその嫌いな人に似てくる」なんていうことを
申しますが、冷静に客観的にそのことをみてみれば、「な~~るほど、そりゃ似るわな・・」と
誰しも分かることでございます。

なんたって箸の上げ下ろしからお茶のすすり方まで「嫌い」と言えるということは、それだけの
嫌いな人の所作一部始終を これまた非常に注意深く、なおかつ強烈な印象をもって、さらに
繰り返し繰り返し・・嫌いという回数分以上に、「見ている」つまり「イメージに焼きつけている」
わけです。

人間「イメージ」が未来をつくっている・・なんていうと嘘つきのように聞こえますが、実際
実はそのとおりでして、例え話にこんなのがございます。

[男性が結婚を考える時、娘の母親をみて決めろ!]

というんですね。つまり、今その娘さんがいかなるかは別として、結婚するなり娘は「母がそう
していたように(これがイメージ)自分を振舞う」んだそうで、だから結婚相手の母親で決めろ!ということでした。

ただ、この話しの逆バージョンがないのが??ですが、それはなぜでしょう。
皆様のご意見お待ちしております。


とまれ、こうして嫌いだから見てしまうのか、見てしまうから嫌いになるのか・・「嫌い」なもの
から「教師・学ぶ」ことができるとすれば、それはなるべく少ない回数で、なおかつ客観的に
見るのがよろしいようです。

そして「理想・手本」となるものを見つけては、それを飽きずに見続けていけば、これまた
自ずといつかは自分が「そのもの」に近づいている・・という、なんとも有難い法則です。
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ということを理由に、今夜も私は「めぐり逢い」のデボラ・カーや「ピーター・パン」のオリビア・
ウィリアムズを ただただ眺めてしまうわけです・・・。
(スタートが遅かったので、死ぬまでに何処までしみこむんでしょう・・?)
                               2005.08.07
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by rolferK | 2005-08-07 19:55 | スピリチュアル
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「占い」というより「性格診断」のような、思わず「アリカヨ・・・!?」な占いでした。

ブログ「Fly, you fools」のwinniephooさんが、ご主人と楽しんだ占いだと教えて

くれました。

早速「どれどれ・・」と占ってみたら・・・おや、まぁ、あらら・・・と、結局家族全員を占いました。


マンガといえども、キャラクター・イメージを決定するには入念な人物への考察があるの

だろうな・・と、もと漫画家も志望だった私は深く納得です。


そういえば、以前どなたかの「マンガ裏話」で、「キャラクターの生い立ちや性格がはっきりと

してくると、キャラクター自身が動き出したり・話し出したりして、(作者は)それに追いつくのが

必死です!ちょっと待って~~。といいながら描いてます。」というようなことをおっしゃって

いましたっけ。


ところでちなみに私は「プロトタイプ・ガンダム」でした。

馬鹿な「完ぺき主義」から脱却して、ちょうどいい「8割主義」へ向けて努力を続けます。

「バンダイのガンダム占い」
http://fortune.yahoo.co.jp/fortune/special/gundam/

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by rolferK | 2005-07-30 12:39 | スピリチュアル
人間の体を知っていくと、もし人体が設計されたものであると前提したときに、2つのことが

深く感じられるようになる。


一つ目は、「設計者がどんなに深い愛情をそそいだか・・。」という思い。

本当にそうとしか思えないほどに、人体は「深く・優しく・寛容で・奉仕に満ちた存在」であって

それを与えられて、使用を許されていることに有難さを感じないわけにいかない。


二つ目は、「宇宙そのものの様相を内包している」という思い。

本当にそうとしか思えないほどに、人体は「広く・精密で・影響しあっている存在」であって

それ自体に意思が内在しているとしか考えられない。


だから、私達は自分を大切に稀有なものとして扱い、また他人も自分と同じなのだと理解で

きるのだろうと思う。


宇宙を一つの生命体に例えるなら、星や惑星は細胞であり、その中に住む人間は細胞の

小体であり、その人間の細胞の核の中にまた宇宙的な空間が広がっている。といえる。


God made body.   レアル先生の言葉


だから、自分の身体を知ることは自己信頼を取り戻す行為でありうる。

そうであって欲しい!と、心から願っている。
                                      2005.07.16
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by rolferK | 2005-07-16 01:37 | スピリチュアル

占い

昔たったの一度でしたが、「占い」をしていただいたことがあります。

お察しとは思いますが、苦しいときの神頼み・・ではありませんが、やはり結婚問題でどう

しても誰かの応援がほしかったのです。

丁度時同じくして、母も私の将来を案じて わざわざ田舎におられる「とてもよく観る占い師」

に相談にいきました。


ところが、この「私の結婚問題」という一つの問題に対して、ほとんど同時に「正反対」の答え

が占いに出たのです。

当然、私には「最良の縁」・母には「最悪の縁」という答えが与えられました。

母は真剣に心配して、真剣に私を説得してくれました。


ただ、このとき私が思ったことは「自分がどちらを信じるか?」という選択をせまられていると

いうことでした。そして、おそらく自分の信じたものが結果になっていくのだろう・・ということが

漠然とですが信じられたのです。

お陰さまで、今のところその考えは揺らいでません。


それ以来、私流の「占いの法則」というようなものができました。


「よく当たる」占いというのは、私流にいえば「自分の本心を代弁してくれるもの」である。と

いうことです。自分の心の奥にしっかりと流れているものをイメージとして伝えることができる

人の言葉が「よく当たる」のは、自分が自分の人生を、その本心からくるイメージに従って

日々積み重ねていくからでしょう。

毎日の細々したことが好調・不調マチマチなのは当たり前。ですが、大きな流れとしてみた

時に、どう考えても「自分の望み・イメージ」が現実をつくるのだとしか思えません。


もし一つのことに「幸・不幸」正反対の答えが与えられたとしたら、きっとそのどちらもが正解に

なる可能性が五分五分であるに違いありません。

つまり、「信じたいほうを信じて努力した」結果が、「幸」だったり「不幸」だったりするだけなの

ではないかしら・・と、そう思うのです。


運命があるのは感じています。けれど、時代性や地域性などの50%はみんなで共有部分

だから個人的には変更不可能としても、残りの50%はきっと自分のコツコツの努力と皆さん

からの応援で築かれていくものだと思っています。


「あたるも八卦・あたらぬも八卦」・・・人生最後までやってみなくっちゃ~わかりませんよね。

                                        2005.07.14
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by rolferK | 2005-07-15 00:02 | スピリチュアル

さよなら・グッバイ

日本語の奥ゆかしい響きが好きだ。

「さようなら・・・・」という音にも、何とはなしに「余韻」を感じてしまう。


でも、いざ「その成り立ちや・・如何に」と尋ねて見たら、これが結構お役人風の上下関係が

みえみえの、「余韻」とはいいがたい、いえ別の意味での余韻を感じる。



昔々、いつの頃からか・・少なくても左大臣が右大臣より上役であるとされた頃には

日本の上下関係のなかでは、自分の左側に位置する人が「上」とされたそうな。

だから、徳川時代になって「封建的縦社会」が充実してきたら、「ひだり~~~ならえ!」で

なんでも自分の「左にいる人の様に」することになったそうな。


それで、「左の方がその様にされますならば・・・私も」ということで、「左様でありますならば」

がつまって「左様なら」という、前置詞的言葉になったそうな。


お侍さんたちだって、早くアフター5したいから「左」の人が退席するのをまだかまだか・・と

待っていた。だから、左の人が立ち上がったら、すかさず「左様なら・・」と言いつつ後に続いて

退席していったそうな。

というわけで、別れのご挨拶は「さようなら」となりましたとさ。めでたし、めでたし。



Boulderで知り合った「日本贔屓」のアメリカ人の友達に、この話をなんとかかんとか

伝えた。

でも「さようなら」の話をしたのは、この話のさきを語りたかったのだが、その時は英語が

目いっぱいでそこまで話すことができなかった。


それは、こんな話。

確か、上智大学・英文科の渡辺昇一先生のご著書によると、(まずこの説明がシンドイ)

現在のイギリス英語は、もともとのブリテンの言語にゲルマン民族の言語が融合しているの

だそうでして、ドイツでは「あなたyou・の・そばにby・神Godが常にいますように」という

祝福のことばが、そのまま別れの挨拶になっているのだそうだ。

だから、英語もそのまま同様で「Good-by」。(ちょっと字余り)



「さようなら」という響きに、「God-by」の心をこめることができますように。

2005.06.24
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by rolferK | 2005-06-24 03:09 | スピリチュアル

チョット長い洗濯の話

梅雨時の洗濯物は結構なお荷物である。

ドラム乾燥に適するもの、縮むもの・・・色分け洗濯・手洗い洗濯などなども勿論だが、なによ

り「臭い」が一番厄介だ。

梅雨時の湿気は、「微生物」の繁殖には最適のようで「なんとなく・・!イヤな臭い」のような気

がしてしまうと、もう一度洗濯のし直しということで余計に洗濯物がたまってしまう。



いつかは、きっと「ハンガーに吊るしたまま、汚れをイオン化してお洗濯」ということで、「水」

なしの洗濯が実現するに違いない。そうしたら、洗濯の字から「サンズイ」が消える代わりに

「アナカンムリ」や「アメカンムリ」がついたりしないかしら・・などと想像する。


どれほど前だったろうか・・・・・少なくても十数年は経っていると思うが、ある雑誌に「洗剤

不要の洗濯機が実用可能の段階に入った」という記事が、開発に携わっている二人の

技術者とともに、写真記事として扱われていた。


何故覚えているかといえば、「欲しい」と思ったにも関わらず、未だに「与えられていない」から

だ。


お陰さまで、仏教でいうところの「求不得苦」(求めても得られない苦しみ)というほどではない

から、別段問題ないじゃない・・といえばそうなんだけど~・・・かえって私のなかでは

世の中の仕組みを理解するためのよいケース・スタディーの一つとして見守っている。


「環境汚染問題」「自然破壊問題」「地球ガイア説」など・・世界が経済的発展と地球環境との

調和を語りだし、率先して企業イメージに取り込むようになった。


私は特別に環境保護に熱心ではないが、時々「?」を持つことで未来を想像するのが楽しみ

なのだ。そして、このような技術が世間に反映されるまでのストーリーのほうに、大きく興味を

そそられるのだ。

例えば、VHSとベータの世界標準化に関わる物語のような・・そうした、様々な「リアルだから

語れない物語」が現在進行形であることに興味がわく。


だってそうでしょう。もし、発売できるということは、裏側の様々な諸問題がある一定水準の

解決をみてしまっているわけでしょうから。それができないから、商品になれないんでしょう。


経済アナリストではないから、こっから先はあくまでも素人評です。


そもそも「洗濯」の必要性は、衣服を構成している布の繊維に「付着した汚物」があるから。

この繊維上の汚物を取り除くのが、洗濯ということ・・なんだから、必ずしも「洗濯洗剤」を

使わなくっちゃ~ならないということはない。


それを今人類史とされている所の歴史的・慣習的な「溶剤による洗濯」が主流になっている

ことが、「洗濯の効果=洗剤の能力」の公式を形成していると思う。


でも、これ以外に「洗濯」のルーツはないか・・といえば、今を流行の「韓流」にみられる「砧」。

つまり、洗濯物を石とか木とかで、パンパン打ちつけて汚れを落とす方法ね。

私が「砧」という言葉を知ったのは宮城道夫先生のお陰ですが、旅行中に盲目の宮城先生が

耳にした「砧」の光景(音)は、とても軽快で印象的だったようですね。


ということは、繊維に付着した汚物を物理的に分解して、繊維からの剥離を容易にするのも

OKな方法・・・・というので、金属の「洗濯」に使用されている「超音波方式」を家庭用にした

のが、最初にご紹介した記事の内容。

ポチポチ、「洗剤と超音波・合体型」のような洗濯機が出てきたけれど、もうひとつ発展しない

のには、きっと「陰の力」があるはずだ。ゼッタイ・・!


と、ここで浮上するのが「家庭用洗剤メーカー」と「石油関連企業」の存在なんですけれど、

私はそれが悪いとか、そういうことではなくて・・、世の中の何かが新しくなっていこうとする時

には、その方向性に「より多くの人の幸福」の存在が常に計られる・・ということを計算しなくて

はいけないんだな~~~と、深く思っているということがいいたかったんです。


つまり、洗剤という観点から見れば、かりに洗剤不要をいっせいに実践した時にどれほどの

人たちがこの影響をプラスあるいはマイナスとして受け止めなければならないか・・・という、

視点で考えて、よりプラスを出していきながら実施していかなければならないという「時間的

誤差」を計算しておかないと、一人の人生では「取らぬ狸」になってしまうかもしれません。


環境問題で簡単に片付かないのは、一方で「沢山の家族が、その利益で生活している」と

いう事実との調和が必要だからなんでしょうね。

けしからん!と言われても、だから「できるだけ速やかに」をなんとか企業努力していただきた

い!と願うしかないでしょう。企業が、常に社会的貢献の信条と利益の追求を調和させていく

ことの難しさは、私たちの到底知るところではありませんから。


それでもきっと、そう遠くない未来に「洗剤不要洗濯機」が一般家庭に普及したら、次は「水不

要イオン式洗濯機」の登場はスムーズかもしれません。

だって、ほら水は今のところ天からの頂き物で、水の使用量が減少して生活に困る「人間」

は、そんなに多くはないでしょうから・・・。


それよりも、「洗剤を使わなくてもいいんだよ!」ということが「当たり前」の世界は、きっと

海も空も青いんじゃ~ないでしょうかしらね。

2005.06.23
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by rolferK | 2005-06-23 18:37 | スピリチュアル

占い・・・血液型編

私自身は「占い」に凝っていたりするわけではない。

けれど、考えてみると結構お世話になっている。


初めて自分から興味をもったのは、高校時代の「星占い」。当然、「相性占い」がその目的・・

とはいうものの、相手がいないので全てが「架空」。

それでも、未来の恋愛などを夢見て、とりあえず「相性」をたずねてはフムフムと納得した。


最近は「心理学的アプローチ」も含めて、様々な占いがでまわっているが、やはり

「よく当たっている占い」には、それなりの人間観察の情報の豊かさを感じたりする。



では、「血液型占い」は・・というと、「色心不ニ」を地でいっているんだ!ということに気が

ついた。


そもそも「血液型」というのは、肉体を形成している因子のタイプを表示するもの。

今は健康診断でもそうだが、血液一つでかなりの個人情報を知ることができるとか・・。

つまり、血液をつくっているのと同じ因子が、その人個人の肉体を創っているわけ。

これを、ホリスティックに考えれば、「性格」つまり「精神・思考的傾向性」が「血液」に具現化

されているわけですね。


だから、ある血液型を形成する「因子のタイプ」をもつ人達は、性格において共通の「傾向性」

をもっていると考えてもいいんじゃない!・・ということです。


ちなみに私はAB型ですが、これが「孔子様」と同じだそうでして、そういえば小学生の頃

やたら「少年少女用・論語」などを読んでは諳んじていたよな・・と思いました。


で、今ダ・ヴィンチ・コードで諸説盛り上がっている「イエス様」はB型、お釈迦様がA型で、

映画「十戒」で有名なモーゼス様がO型・・・ときけば、ちょっとナルホドと思います。

(科学的根拠のある情報ではございませんが・・・)


ここまで書いて、「おや」と思ったのは、学校で習った血液型の法則性のこと。

親が「AA」因子と「AO」因子なら、何人の子供が出来ても皆「A」型・・・というやつ。


普通は、これに気づくと「やっぱり、性格で血液型が決定されるわけないじゃない!」と

いわれるのがオチなのですが、ここで萎えたら科学は一向に進歩しない。


「風が吹けば、桶屋が儲かる」式の、どう見ても因果関係が見いだせそうもないものの中から

新しい法則性をみつけだしてほしい!・・・・と勝手ですが、願っています。
                                    
                                       2005.06.19
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by rolferK | 2005-06-19 21:26 | スピリチュアル
「犬好き・猫好き」とか「犬型・猫型」というが、「犬」と「猫」が象徴するものは何でしょう・・と

ふと考えて見て、思いついたのが、犬は「秩序」・猫は「自由性」という概念です。


どちらかというと、私自身が子供時代にシロ(猫)に育ててもらったせいもあってか、猫好きで

あると思うので、あまり客観的なものではないかもしれませんが。

犬だけ、猫だけという選択はないと思うので、どちらかといえば・・というあたりで、どちらかに

より強い傾向性を感じるというものでしょう。



私のように「自由性」をより強く好むものにとって「秩序」は時代遅れのように思いがちですが、

実はその「秩序こそ自由性を支えているものだ!」ということをようやく理解してきました。


これが、車の運転とか、スポーツとか、婚姻関係なんかで考えたら、ごくごく当たり前に感じて

いることなのに、いざとなると結構混乱しますね。


この混乱を招いている原因のひとつに、「偶然性」という言葉のマジックがあるんじゃない

でしょうか・・・?というのが、言ってみたかったことです。




そもそも、多くの科学者が後生大事にしている「ダーウィンの進化論」的に考えると、早い話が

なんでもかんでもミ~~~ンナ「偶然」が引き起こすことになっています。

そして、私たちの命も日常も、その偶然の集積の上に成り立っていることになるんですよね。


ということは、何一つ「因果関係を保証するものがない」のです。だって、「偶然」なんだもん。

こうなってくると、自分に都合よくまわっているうちはいいけれど、いざ自分が責任を負うべき

立場になった時に、何一つ信じられるものがない。


これは、大変に苦しい状況ですよ。やってみたらわかるでしょうけど・・・。


社会に出て、なにがしかの責任を負うべきポジションになればなるほど、この苦しさが増幅

するんですね、ダーウィン的「偶然主義」でいるとね。


アメリカなどは、そこへもってきて「自由性がずば抜けて強い」。だから、「自由」が生み出す

「差別化」という現象が受け止めきれないんじゃないでしょうか。


「差別」という言葉を悪用するジャーナリズムが多すぎて、もとの語源の仏教的解釈には

全く触れることもないままですが、「シャベツ」といって「公平」を意味しますよね。


だってそうでしょう。自由主義というのは、その努力を正当に評価することを前提になりたって

いるんですよね。この、正当な評価が「公平」という価値観ですから。


ある意味「平等」というのは、この「公平」を無視する方向に進むように見えるときがあるわけ

です。それでね、アメリカ人は「自分の努力は正当に評価されるだろうか・・?」という疑いを

常に持ち合わせなければならないんでしょう。そりゃ、夜が眠れないはずです。

今からでも遅くないから、国旗の色を三色(自由・博愛・平等)に変えるといいのでは・・。



この世に、真の平等があるとすれば、「生まれた者は必ず死ぬ」という平等と「人として

の一日は24時間である」ということくらいじゃないでしょうか。


この手加減抜きの平等以外は、すべてが「秩序のなかにおける自由性」の結果として

必ず「公平」に評価される。という「大秩序」があることを信じられなかったら、努力なんて

「それこそ、なんなのよ・・」の疑問から抜けられませんよね。


秩序と自由性というものは、平面的に考えるとまるで裏表か左右正反対のように思うかも

しれませんが、これを球体で考えると意外と単純に納得できたりするものです。

つまり、秩序を垂直軸方向・自由を水平軸方向にすれば、そのなかに球体・・つまり3次元

空間である私たちの存在世界があらわれたりします。



ちょっと端折りますが、「なんにも秩序のない偶然だけの世界で自由にやってたら、本当に

偶然うまくいく」確立に賭けるより、「きちんとした秩序のもとで自由にやったら、公平に評価

されてうまくいく」確立に賭けるほうが、少なくても負ける確立は低いんじゃないかしら・・。


そのことをプロの賭け事師が無言のうちに教えてくれてますよ。

だって、競馬・競輪・競艇・パチンコ・相場・その他もろもろどれひとつとって、経験という情報

ソースも含めて、ボ~っとしてて当たる確立なんてないに等しいから、ああやって赤鉛筆片手

に日々研鑽しているんじゃないでしょうかしら。


もし「偶然」が真実なら、彼らほど「目に見えない確立」の中をいきている人達はいないんです

から、明日からその場限りのぶっつけ本番で賭けに臨むことでしょう。

つまり、「偶然」なんてありえない!ということです。


それが、偉そうな学者さんがいうと「あるように聞こえてしまう」というところに、やっぱり私たち

の聞く耳のほうに「間違う原因」があるといえるんでしょうね。

だって、今は「言論の自由の時代」なんですから。

そして、様々な意見が出揃っているなかで、どれを選ぶかは私たちの聞く側の自由です

からね。
                                           2005.06.18
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by rolferK | 2005-06-18 22:28 | スピリチュアル