思いつくまま・・Rolfer日記

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主婦からRolferとして人生再建して12年経過。ロルフィング・ムーブメント・健康・・そして、マイペースに思いつくまま・・。

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カテゴリ:季節・ガーデニング( 97 )

七月七日

七月七日は、幼稚園や保育園では大きな笹に色とりどりの短冊や紙細工の飾りをつけて

「七夕」をお祝いしたことでしょう。


我が家では、もうずいぶんと長いこと「七夕」を祝うこともありません。

それでも、夜になれば思わず知らず夜空を見上げてしまいますが、ここ何年かは梅雨空が

「夜空の逢瀬」を邪魔ばかりしているように思います。


2003年の七月七日は、Boulderのロルフ研究所のクラスメートたちと「七夕」を祝いました。

日本でも自生の笹を見ることが少なくなっていますが、アメリカ・コロラド州の乾燥した風土に

笹はありません。

下宿の庭にあったコデマリの一枝をいただいて、クラスに3体ほどいる骨格標本のうち一番

優しそうな骸骨さんに枝を持たせて、クラスメイトが思い思いの願い事を枝に結びました。


その晩のBoulderは、美しい夜空でした。

旦那様と私は、クラスメイトと私達の願いが叶いますように・・・と夜空を見上げました。


きっと、みんなの願いは叶ったにちがいありません。

フィリピン初のRolferになるため留学していたRinaは、アラスカからきていたRob君と

大恋愛におちました。その後は、留学中のお父様の死も乗り越えて、一年後の8月にRob君

のお嫁さんになりました。

雪を見たこともなかったRinaが、アラスカの極寒の冬も暖かく・幸せに暮らしています。

そして、その時のクラスメイトのほとんどが、この7月にはRolferとして出発しているのです。


そういえば、ロルフ研究所が仲をとりもったカップルは、沢山いますね。

それも、国際結婚がずいぶんあります。

最初から、その目的で英語をがんっばてみてもいいかもしれませんね。

                                  2005.07.07


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写真はコデマリの枝に短冊をつけている
クラスメートのセレスタ。
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by rolferK | 2005-07-07 21:13 | 季節・ガーデニング

無条件な条件反射

約束の20時に間に合わせるために、少し急ぎ足で東梅田の改札を出て、そのまま地上へと

階段を上った。


いつもの薬やを曲がったところで、太鼓の響きがした。ゆったりとしたリズムで、私に近づいて

くるその先に「お初天神」が見えた。

まだ祭りでもなさそうな人通りのせいか、かえってその太鼓の響きが神聖に思われて、境内

に続く狭い参道に進んだ。

参道の入り口の明るさがまぶしくて、その先の暗がりがいっそう暗く見える中から、だんだん

に太鼓の響きはハッキリとその所在を知らせてきた。


大太鼓の周りを向かい合わせた子供達が8人(?)、さきほどから聞きなれたリズムと同じ

リズムで上体と腕だけが揃って動いているように見えた。

ドーン。。。タッタッタ、ドーン。

そんなゆったりと繰り返されるリズムが腹にこだます様に響く。

たったそれだけのことだったのに、その響きを聞きながら境内を通り過ぎる自分の中から

「無条件でこみ上げてくる涙」をこらえられない。


「なぜだろう・・?」と自問しながら、昔々も同じ「無条件の涙」で鼻の奥を熱くしていたのを

思い出した。

「子供・・?」という自問に、いとも素直に「涙」が反応した。


子供の学芸会・子供の運動会・子供の発表会・・・それが自分の子供かどうかに関わらず

なぜか「子供の真剣にガンバル姿」にメチャメチャ弱い。

こうして書きながらでも、ちょっと油断すると鼻が熱い、涙がたまる。


存在として「幼いもの」が、健気に励む姿は無条件で感動する。・・・・・とすると、もしかして

私を「幼いもの」として見ていてくださる方がおられるとしたら、今の私はどんなだろう。

少しでも健気さがあるだろうかしら・・・。


少し前「WATARIDORI」(DVD)を見た旦那様が、彼らの「ひたむきさな眼差し」に感化され

て暫くセンシティブになっていたことがあった・・・私ももしや同じ症状かもと自己診断した。


                                              2005.06.28
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by rolferK | 2005-06-29 00:49 | 季節・ガーデニング

佐藤錦

今年も実家の母から「佐藤錦」が届いた。
山形を田舎にもった楽しみのひとつである。


その「佐藤錦」を結構大量(20キロ)に盗んだ悪党がいると聞いた。
なんで悪党と言うかといえば、勿論「農家さんの精魂込めたサクランボ畑から直接失敬した」
からである。

これは、一番悪辣な盗みである。

サクランボを収穫するということは、一年がかりの仕事である。
ようやく、その一年の「喜び」を盗んだから、悪党なのだ。

同じ盗みをするなら、銀座の千xxさんとか、新宿の高xさんとか・・・とにかく、有名果物店や
デパートの一郭にある「佐藤錦」を大量に盗みなさい!

そのくらいの努力もしないで、一番簡単な方法でシメシメと高をくくるなんざ、「泥棒の風上
にもおけない!」と誰か説教してやってください・・・!

と書きながら、他人の「喜び」を妬む思いが「泥棒の始まり」か・・と納得した。

                                      2005.06.22
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by rolferK | 2005-06-22 00:30 | 季節・ガーデニング

今夜は夏至の夜・・・・キャンドル・ナイトとはいかないものの、部屋の電気は消してお手元

ランプをつけました。

雨音も聞こえ始め、そういえば部屋に入る風が少しヒンヤリとしてきました。


私は子供の時から「夜」が好きです。

暗闇は怖いのに、なぜか「夜」にとても心が惹かれます。


夜は「昼」と全く違った世界を想像させてくれるような気がするのです。もし昼を現実の世界・

あるいは物質の世界とするなら、夜は空想の世界・あるいは精神的世界の入り口がいつも

身近に存在しているように思えるのです。


子供の頃は両親が仕事で留守がちでしたから、ある意味で「夜」を充分に満喫していました。


東京大学・農学部の近くにある西片町という、加賀藩前田家の屋敷町に7年間暮らしました。

当時はJRも地下鉄もアクセスがなくて、東大構内を横切って歩いていけば30分ほどの

道のりも、バスを使えば有に1時間以上はかかるような(最大1時間半かけたことがあります

が・・)不便極まりない住宅街でした。


けれども、当時の私にとってはその不便さが、かえって楽しみの一つになってもいました。


すでにその当時から「中学受験」のための塾通いがありまして、小5から小6の頃にはバスで

茗荷谷にある受験塾に通っていました。(通うことと、勉強をすることはイコールではない。

ということが経験です。)


10時頃に、ようやくバスに乗って最寄のバス停についた頃には人通りは全くといっていい

ほどありません。ところどころの電灯も今ほどの明るさはありません。

すべてが、うすボンヤリとしている中を、まるでおとぎ話か映画のなかをあるいているような

気持ちになるのです。


昼間でも人の気配を感じることのできないような大きな家が立ち並ぶ一本道は、少し上り

ながら遠くに続いています。

小雨の降る梅雨時や秋の頃には、うっすらとモヤのかかったようなその一本道が、いっそう

現実のものではないような気配を強くしていきます。

たまに遠くに見える人影は、こちらに向かっているのか、それとも遠ざかっているのでしょうか。

そんなことも定かにできない夜の西片町で、私はもう一つの世界に浸ることができました。


12時も過ぎる頃になると、少し離れたお屋敷で飼っている孔雀が甲高くて、そのくせに悲しく

なるような鳴き声をあげました。その声につられるわけではないのでしょうが、不思議と同じ

ころに、遠くの上野動物園から様々な動物たちの鳴き声が混ざり合って風に運ばれては、

大きくなったり、かき消されたりしながら、まるでなにか空想の生き物の声のように聞こえ

ました。



雨が降るとその声もさすがに届かなくなってしまうのですが、その代わりに時折響く雷鳴が

たった一人の部屋をいつもと違う空間にしてしまうような気がしました。



そんな時は全ての電灯を消して、吹き込む雨をよけながら時間を忘れて雨の落ちてくる低い

夜空を見上げました。雷を待つのです。


雷鳴に耳をすませて・・1・2・3、次の閃光を先に感じ取るのです。右・・・左・・・上・・・。

二階家より高い建物のない高台の町でも、窓から見える空は狭く細長かったはずですが、

長々と竜のように這い回る雷の光はとても魅力的でした。


今夜の雨は、もう雨音も薄れてしまいました。

遠くで、まだ残っている田んぼのカエルがないているのでしょうか・・・。

                                              2005.06.21
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by rolferK | 2005-06-21 23:59 | 季節・ガーデニング

キャンドルナイト・夏至

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キャンドルナイト・・・という言葉に惹かれてサイトをあけた。

「100万人のキャンドルナイト」というキャンペーンである。


18・19.20・21日と、全国規模のイベントもあるようだが、基本は夏至の夜に「電気を

消して・・・」というメッセージであると感じた。


2・3日前だったか、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」を思い浮かべていた。

そうしたら、昨日ある女性から谷崎の短編を紹介してもらい、「アラ・・」と思っていたところに

今朝の「キャンドルナイトのメッセージ」である。


一昨日のブログに偶然はない!と公言したのよね・・・・と、いえ、これは単なる言い訳です。

参加したいと思ったので、そのまま「キャンドルナイト」のイベント参加を申し込んだ。

勿論、ちょっと宣伝効果の下心もある。

といっても、あと二日ばかりの短い参加期間だから、ホタルの光くらいのものだけど。



そういえば、研修のため初夏のBoulderに初めて出かけると決まった時、一番に夢見たのは

子供心に焼きついた「満天の星空との再会」・・だった。

ロッキー・マウンテンの麓、アメリカの大自然の只中にある標高1000mの街Boulder・・・・・

ときいて、雄大な星空を思わぬ人はいないと思う。


しかし、結局一年ほどのBoulder生活のなかで、私が見上げていたのは、大阪とそう変わら

ない星空だった。

「なんで・・?」誰に尋ねるわけではないが、誰か知ってる人がいたら教えてください。




まだ子供たちが小さくて、毎日があわただしく過ぎ去るばかりに思えていた頃、用事で乗った

主人のカーラジオから聞こえた話が、その時の私を一瞬で宇宙空間へ吸い上げていったのが

忘れられない。


  「僕が研究のために、エジプトのギザへ行ったときのことなんですが、(何かの理由で)
 
  夜間の移動がありまして・・・、こう数人が腰にロープをつなぎましてね、順々に進んで

  行くんですが、エジプトの夜は本当に暗い!真の闇なんです。
 
  僕の前にも人がいるし、後ろにもいるんだけど、それが目では全く見えない。

  地面と空との境もない、すっぽりと全てが闇に包まれている中を、ロープだけを頼りに

  進んでいくんです。

  まるで満天の星の中を、僕は進んでいるようでした。・・・・・・・」



夏至の夜に「電気を消して・・」、谷崎のいう「陰影礼賛」の時間をもつことは、もしかしたら

地球のもう一つの恵みを受けとろうとすることでもあるような気がする。


地球の、もう一つの恵み・・・それは「夜」です。

                                               2005.06.20
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by rolferK | 2005-06-20 15:42 | 季節・ガーデニング

梅雨入り

関東地方が梅雨にはいったと聞いた。

今年の梅雨は北のほうからやってくるらしい・・。


そのせいか、今夜の大阪は随分寝苦しく思える。

こんな夜は、きっとホタルが群れをなして舞い上がるのだろうな・・と、まだ肌になじめない

夜を紛らわしてみた。


そういえば、日本の家屋は「夏を過ごすために建てられた」ときいたことがある。

お陰で冬は隙間だらけで、なんともいえぬ底冷えがするのだが、それでも「夏」をしのぐことの

ほうが、長い間の人々の関心事であったことは確かだろう。


まだ、私が学生服をきていたころには、5月の初夏を思わせる日差しの中を「つめ襟・制帽」の

男子生徒が気の毒に思えた。

そのくせ、6月の「衣替え」を迎えると、毎日降り続く雨が半袖に寒々しく感じたものだ。

「なんとも融通のきかない制度」に、子供といえども疑問をもった。


ところが、最近はなんだか季節がウスボンヤリしてきているようで、過ごし易いのはいいの

だが、なにやら妙な気分になる。


せめて「グッズ」だけでも「四季」の移ろいを感じていたい・・と思うのは、もう年のせいなの

だろうか。


一時、何もかもが「洋風のグッズ」で一色に塗られていた若者たちの店先も、最近は「アジア」

や「和風」の湿度に馴染む品を目にすることが多くなったようだ。



日本の風景画をアカデミックな油絵で描くと、なんとも重苦しい色合いに感じる。

それを同じ作家がヨーロッパなどで筆をとれば、カンバスに軽やかな風がふきわたる。

湿度は人の目に見えるものなのだろう。


だからだろうか。

日本人は、ことのほか目で「涼」を楽しむ。


そういえば、「藍」の色はその濃淡に関わらず、日本の夏に良く似合う。

そして、あのほのかに甘さを漂わせた「藍染めの香」も、湿度のなかでしか感じられない。

 
                                            2005.06.11
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by rolferK | 2005-06-11 02:55 | 季節・ガーデニング

ほたる

ふっと、「ほたる」の淡い光がフワフワと漂う様を思い出した。


本当のホタルを見たのは、もう何年まえのことだろうか・・。と数えてみたが、十数年以上前に

子供たちへのお土産にと、どなたかが籠に入ったホタルをくださった時が最後だろう。


その前は・・・・・そういえば、父が久しぶりの家族サービスにと「椿山荘」(東京・文京区)で

催されていた「ホタルの夕べ」に連れて行ってくれたことがあった。


当時、小学3・4年だった私が今も覚えているのは、確かにホタルが椿山荘の広い庭の

一郭に光の絨毯のようなひろがりをつくっていたことよりも、その周りをとりまく長く・太い

人の畝を印象に強く覚えていた。

傍らで、父がしきりに「きれいだろう、きれいだろう・・・」と、私たち家族に尋ねるでもなく

繰り返していたことも思い出した。


きっと私は「うん、うん。」と返事をしていたにちがいない。

父がうれしそうにしてくれることをしないはずはないから・・・。でも、こうして思い出せば

わざわざ父が高い入場券を購入してまで見せてくれただろうホタルの光は、うっすらと「見た」

だけのものになってしまっている。



そんな私にとって、「忘れられないホタルの思い出」はもう少し幼かったころの記憶である。

たぶん、小学校にもあがってはいなかったころだろう。


私の田舎は山形で、母方の実家は上山駅に程近いところにある。

かならずではないが、夏のかなり長い時間をいとこの家をハシゴするように泊まって

過ごしていた。


私と一番年の近いいとこの家も、子供サイズの私には結構な大きなものだったが、

その家はなによりも実家のある(当時の)小さな町のはずれにあって、すぐ脇に「サンキチ山」

と呼んでいたコンモリとした山と、その奥の山々からあつめた水をたっぷりとたたえた川が

流れていて、その川沿いの土手道はとうとう行き着くことができないまま、記憶のなかでは

深い林のなかにうもれてしまっている。


きっとその頃の私が大人であったら、なんともこじんまりとした空間であることだろうが、

私のなかでは広い広い未知の空間が、その川沿いにひろがっていた。



当時は、それが当たり前だったのだろうが、母の実家もいとこの家も夏の夜には、寝室の

窓は開け放され、夏の匂いを含んだ涼しげな夜風が、くすんだ緑色の蚊帳ごしに柔らかく

ふきこんできた。

たしかに、どれほどか寝入っていたはずだが、ふっと目を開けた私のちょうど目線の先で

蚊帳にとまったホタルが小さな明滅を寝息のように繰り返していた。


その光景が私のホタルである。


しばらくして、ホタルはふわふわと柔らかな軌跡を描いて窓のほうへとんでいった。

普段ならトイレにたつのも怖いような夜中だったと思う。


私が次に思い出せるのは、ホタルの光を追いかけて見上げた夜空の星の数・・・・・。

何が何なのか分からないほどに沢山の星が、自分の背丈にとどきそうなほどに近く

感じられたことを覚えている。


九州や関西地方では、この6月4日5日のあたりに「ホタル祭り」を催すところが多いらしい。


私にとってのホタルは夏の蚊帳と結びついたままなので、6月とは少し早いように思うのは、

日本は春と夏が北上する国であることを思い出させてくれる。


*岡山県のホタルの里は、6月半ばが最盛期とか。
 北房・真庭市(ホタルまつり in 北房)のホタル情報  は、国内線ドットコムのHP
 で見れます。
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by rolferK | 2005-06-05 16:35 | 季節・ガーデニング