思いつくまま・・Rolfer日記

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主婦からRolferとして人生再建して12年経過。ロルフィング・ムーブメント・健康・・そして、マイペースに思いつくまま・・。

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月末のATMは、やっぱり込み合っている。

いつもならウ~~ンと遅い時間にするのだが、天気の加減でたまたま皆さんと重なって

しまったようだ。


それにしても、10ほどもあるATMにズラリとお尻が並ぶ光景は、結構面白い。


ATMにむかって操作中の人のうち、おそらく誰一人として「自分の後姿」に意識がある人は

まずいないだろうから、Rolferとしては大変に勉強になる。


今日に限らず、日本に帰国してからやたらと目に付くのは、「タレッ尻」である。

老いも、若きも、男も、女も・・・どうして皆さん、尾骨を巻き込むように「タレッ尻」をわざわざ

つくるのだろう。これも流行のひとつなのだろうかしら・・・。


特に無残なのは、ヒールの高いサンダルなんかを引きずるように歩くお姉さんの「タレ具合」。

本人はそんな気がサラサラないだろうから、余計なお世話でしょうけど。

ヒールで短くなっている「足の後ろの長さ」を、お尻を引き込むことでますます短くキープして

いる。勢い、仙骨から腰椎へのカーブなんてウス~クなっているから、サイドからみたら

腰まわりがヒラヒラしているように思える。


もしかして、これって「和服の似合う女性の条件」なんじゃないでしょうか・・。

ということは、現代の多くの女性はあえて「和服体形」を望んでいらっしゃるのでしょうかしら。


さすがにジェニファーロペスのお尻とはいいませんが、せめて尾骨を負け犬のように巻き込む

のは止めませんか?

そうしたら、(たぶんですけど)相乗効果でバストラインも綺麗になるはずなんですけど・・。


2,3年先のATMに並んでいる「お尻」が楽しみです。
                                               2005.06.30
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by rolferK | 2005-06-30 01:31 | Rolfing

無条件な条件反射

約束の20時に間に合わせるために、少し急ぎ足で東梅田の改札を出て、そのまま地上へと

階段を上った。


いつもの薬やを曲がったところで、太鼓の響きがした。ゆったりとしたリズムで、私に近づいて

くるその先に「お初天神」が見えた。

まだ祭りでもなさそうな人通りのせいか、かえってその太鼓の響きが神聖に思われて、境内

に続く狭い参道に進んだ。

参道の入り口の明るさがまぶしくて、その先の暗がりがいっそう暗く見える中から、だんだん

に太鼓の響きはハッキリとその所在を知らせてきた。


大太鼓の周りを向かい合わせた子供達が8人(?)、さきほどから聞きなれたリズムと同じ

リズムで上体と腕だけが揃って動いているように見えた。

ドーン。。。タッタッタ、ドーン。

そんなゆったりと繰り返されるリズムが腹にこだます様に響く。

たったそれだけのことだったのに、その響きを聞きながら境内を通り過ぎる自分の中から

「無条件でこみ上げてくる涙」をこらえられない。


「なぜだろう・・?」と自問しながら、昔々も同じ「無条件の涙」で鼻の奥を熱くしていたのを

思い出した。

「子供・・?」という自問に、いとも素直に「涙」が反応した。


子供の学芸会・子供の運動会・子供の発表会・・・それが自分の子供かどうかに関わらず

なぜか「子供の真剣にガンバル姿」にメチャメチャ弱い。

こうして書きながらでも、ちょっと油断すると鼻が熱い、涙がたまる。


存在として「幼いもの」が、健気に励む姿は無条件で感動する。・・・・・とすると、もしかして

私を「幼いもの」として見ていてくださる方がおられるとしたら、今の私はどんなだろう。

少しでも健気さがあるだろうかしら・・・。


少し前「WATARIDORI」(DVD)を見た旦那様が、彼らの「ひたむきさな眼差し」に感化され

て暫くセンシティブになっていたことがあった・・・私ももしや同じ症状かもと自己診断した。


                                              2005.06.28
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by rolferK | 2005-06-29 00:49 | 季節・ガーデニング

ヒラヒラ飛ぶもの

一日のうちの時間帯が同じなのだろうか・・・それとも、お互いがどこかで「会いたい」と思って

いるからなのだろうか・・。

ほとんど毎日のように蝶々が私の周りをヒラヒラと通り過ぎる。

このごろは、「挨拶にきてくれたのね」と良きに思い込んでいる。


といっても、自分の家の敷地のなかだけだから、蝶々が散歩のコースに我が家をチョイスして

くれているといったところでしょう。

アオスジアゲハ・キアゲハ・ムラサキヒョウモン・モンシロ・カラスアゲハ・・・そうタテハチョウも

よく来てくれる。

ほんのつかの間の、それでも出会うとなにかしら幸せな気分になる一時だ。


子供の頃は図鑑が大好きで、「蝶」のページはあかずによく見ていた。

ところが、この後ろには決まって「蛾」のページが続くのだ。これはいけません。

どうしてだか、理屈ではなくて恐怖が先立つのだ。「高所恐怖」に似ている。

その先に進みたいときには、指でページをめくることができないのだから、割り箸やら何やらを

うまく使って、「蛾」をとばして次へいく。


ゴキブリは母が毛嫌いしていたので当然のごとく私も嫌いだったが、決定的になったのは

小3の夏の夜にブ~~~ンと羽音をうならせて近づいたムシがピタっと私の膝上にはりついた

かと思ったとたんに、そのままスカートのなかへ這い上がってきた時だった。


こうして書いていても、その時の恐怖感は胃のスグ下あたりに黒い色をしているようで、あの

時のゴキブリのトゲトゲした足の感触が蘇るほどだ。

それでも子を持つ親ともなれば、「母は強し!」で剣道で鍛えた気合もろともに、大抵は頭部

のみの圧殺に成功する。


そんな記憶に残る体験がないにも関わらず、それが絵だろうがとにかく「蛾」はいけません!

という少女時代だった。

娘はというと、「ムシ」そのものが「いけません・・・」ということだそうだから、「蝶が好き」な私を

不思議に感じているらしい。


小学3年に誠之小に転校してから中学生いっぱいを文京区で過ごしたお陰で、夏の合宿と

いえば決まって柏の施設だった。

今は知らないが、当時はできたてのきれいな施設だったが、なにせ周りがほとんど自然その

ままのような環境だったから、当然ムシにも恵まれていた。(本当のムシ好きな男子には

天国みたいだったようだ。)


小6くらいだったと思う。そこで初めて「オオミズアオ」を見た。

「見た」というよりも「見せられた」という表現に近い。


消灯前の歯磨きをしながら、なにげなく洗面所の前に開いた大きな網戸の暗がりをボンヤリと

ながめていたのだ。

そこへ、オオミズアオが本当に突然現れた。ヒラヒラとか、パタパタとか、そういった時間的な

距離感が全くなしで、忽然と「出た!」

見たいわけではないだろうが、目がオオミズアオに張り付いたまま視線がはずせない。

自分の顔ほど(当時の私は、大きさだけは充分な大人サイズでした・・)もありそうな、大きな

羽をその裏側から「ホラ、きれいでしょう~~~~!」といわんばかりに見せ付けられたのだ。


が、正直綺麗だった。

「オオミズアオ」の「ミズアオ」という由来が、その羽の浅黄色からきたことがすぐに納得でき

た。嫌いのはずなのに、とっさに名前がでてきたのもおかしいが、とにかくそれは本当に綺麗

だった。

その後萱場町の山種美術館で、速水御舟の「炎舞」の蛾の群れを見たが、オオミズアオに

感じた「綺麗」はその絵に描かれた「炎」に感じたものと同じだったように思う。


柏の合宿所で蛾と対面したのは幾度もあるが、そんなドラマチックな出会いはお陰さまで

二度とない。


それにしても、分類上では「蝶と蛾」はほとんどはっきりとした区別がないときいている。

なのにどうして、あんなに激しく違う感情を呼び起こさせるのだろう・・・。


私には、当然わからない。分からないけれど、きっと「魂が違うんだ・・・」と納得している。

                                       2005.06.28
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by rolferK | 2005-06-28 17:49 | ワタシ

私の願い

昼から半日がかりになった親戚の葬儀から帰宅してインターネットを開いたら、谷亮子選手の

笑顔が目をひいた。

「あら、きれいになったわね~~~~。」と、老眼鏡越しにのぞくと「妊娠」の文字があった。


タイトルは「世界選手権7連覇断念」といった口調だが、その内容は彼女の喜びを充分に伝え

ているように思えた。

特に亮子さんが、実父・田村勝美さんに語ったという

「出産は世界選手権7連覇以上の価値がある」
という言葉に彼女の未来の豊かさを感じている。

女性に与えられている「母性という宝物を育むことの喜び」を、できうるならば全ての女性に

味わってもらいたいと、Rolferになってから強く思うようになった。

そのために役に立ちたい。

                                        2005.06.27
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by rolferK | 2005-06-28 00:15 | マタニティー&キッズ Rolfing

些細な思い出

些細なことだけど、ある出来事を思い出した。


Boulderで研修を受けている間、本当に多くのゲイの存在を知りました。勿論、クラスメイト
や友人・知人・・ごく普通の付き合いの中で、もしかしたら3割くらいはゲイだったかもしれま
せん。

彼らには彼らなりの「思い」があって、一言でゲイは・・とは語れないと思っています。

で、とにかくBoulderの研修中、男同士・女同士・男と女という3種類のカップルの存在が
フィフティー・フィフティーくらいの濃い密度の時もある中で、レイチェルという中年の女性が
私達と全く同じコースを履修していました。

そんなわけで、話し好きでチョットだけ自己中な彼女を毎朝車でピックアップして通学する
車中は、私にとっては英語の個人レッスンのようなものでした。

ある朝、彼女はとても興奮して「昨日の散歩で出会った素敵な女性」の話を話し出しました。
レイチェルは、その女性が素晴らしい織物を織っていること、自宅に招かれて織物を見てきた
こと、そして大切な作品の一つを記念にくれたこと・・などを、頬を赤く高揚させながら一気に
しゃべりました。
そして最後に、何度も何度も「彼女は素晴らしい人だは!」と繰り返しました。

私には、そんなレイチェルが彼女の年齢を忘れさせるくらい可愛らしく思えました。

ところが、その日の昼休みに入ろうとする頃になって、レイチェルがとても深刻な顔でやって
きたのです。
そして、私の目をジッと見つめると「リツコに大事な話しがあるの・・・」と、こもった調子で言う
のです。勿論、私は本当に真面目に彼女の目を見つめ返しました。

    「リツコは知ってると思うけれど、私は夫をとても深く愛しているの・・。」

    「そして、最愛の息子も心から愛しているわ・・・。」

    「ね、わかるでしょう・・・!」

私にわかったことは、彼女の家族への愛情です。けれども、彼女はそれでは不十分の様子
でした。

    「今朝、私が話した女性は、ただのお友達よ・・!」

そりゃそうでしょう・・。他になんだっていうの?としか、思いませんでした。

    「もしかしたら、リツコが誤解しているんじゃないかと思って・・・私・・・」

と、ここまできてようやく彼女が何を深刻に訴えていたのかが理解できたのです。鈍感。

     「ま~勿論よ、レイチェル!」「あなたは世界一素敵な奥様よ!」


このとき、「アメリカじゃ、うっかり人を褒めることもできないのかい・・!」と、おかしいのを通り
越して、アメリカ人のストレスぶりを垣間見た気がしたのです。
自分の発した一言一句にも、常に誤解や中傷の可能性を探らないといられないお国柄は、
ある意味で「自己責任の徹底」が過ぎて、「疑心暗鬼」の蔓延をよんでいるように思えました。

そういえば、普通以上に恵まれた中流家庭の人々が、「睡眠薬」や「頭痛薬」なしに生活が
できなくなっている姿を目の当たりにしていました。
「疑」が蔓延するところに「安心」のあるはずもありませんからね。

これは、ほんの一年ほど前のお話です。

ところで、今しがたカナダのRolfer仲間がチャットで「カナダは今週一週間はゲイ週間」だと
教えてくれました。どうしてブログにゲイのことを書いているのがわかちゃったんでしょう・・・?

                                       2005.06.25
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by rolferK | 2005-06-25 03:25 | Boulder

さよなら・グッバイ

日本語の奥ゆかしい響きが好きだ。

「さようなら・・・・」という音にも、何とはなしに「余韻」を感じてしまう。


でも、いざ「その成り立ちや・・如何に」と尋ねて見たら、これが結構お役人風の上下関係が

みえみえの、「余韻」とはいいがたい、いえ別の意味での余韻を感じる。



昔々、いつの頃からか・・少なくても左大臣が右大臣より上役であるとされた頃には

日本の上下関係のなかでは、自分の左側に位置する人が「上」とされたそうな。

だから、徳川時代になって「封建的縦社会」が充実してきたら、「ひだり~~~ならえ!」で

なんでも自分の「左にいる人の様に」することになったそうな。


それで、「左の方がその様にされますならば・・・私も」ということで、「左様でありますならば」

がつまって「左様なら」という、前置詞的言葉になったそうな。


お侍さんたちだって、早くアフター5したいから「左」の人が退席するのをまだかまだか・・と

待っていた。だから、左の人が立ち上がったら、すかさず「左様なら・・」と言いつつ後に続いて

退席していったそうな。

というわけで、別れのご挨拶は「さようなら」となりましたとさ。めでたし、めでたし。



Boulderで知り合った「日本贔屓」のアメリカ人の友達に、この話をなんとかかんとか

伝えた。

でも「さようなら」の話をしたのは、この話のさきを語りたかったのだが、その時は英語が

目いっぱいでそこまで話すことができなかった。


それは、こんな話。

確か、上智大学・英文科の渡辺昇一先生のご著書によると、(まずこの説明がシンドイ)

現在のイギリス英語は、もともとのブリテンの言語にゲルマン民族の言語が融合しているの

だそうでして、ドイツでは「あなたyou・の・そばにby・神Godが常にいますように」という

祝福のことばが、そのまま別れの挨拶になっているのだそうだ。

だから、英語もそのまま同様で「Good-by」。(ちょっと字余り)



「さようなら」という響きに、「God-by」の心をこめることができますように。

2005.06.24
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by rolferK | 2005-06-24 03:09 | スピリチュアル

チョット長い洗濯の話

梅雨時の洗濯物は結構なお荷物である。

ドラム乾燥に適するもの、縮むもの・・・色分け洗濯・手洗い洗濯などなども勿論だが、なによ

り「臭い」が一番厄介だ。

梅雨時の湿気は、「微生物」の繁殖には最適のようで「なんとなく・・!イヤな臭い」のような気

がしてしまうと、もう一度洗濯のし直しということで余計に洗濯物がたまってしまう。



いつかは、きっと「ハンガーに吊るしたまま、汚れをイオン化してお洗濯」ということで、「水」

なしの洗濯が実現するに違いない。そうしたら、洗濯の字から「サンズイ」が消える代わりに

「アナカンムリ」や「アメカンムリ」がついたりしないかしら・・などと想像する。


どれほど前だったろうか・・・・・少なくても十数年は経っていると思うが、ある雑誌に「洗剤

不要の洗濯機が実用可能の段階に入った」という記事が、開発に携わっている二人の

技術者とともに、写真記事として扱われていた。


何故覚えているかといえば、「欲しい」と思ったにも関わらず、未だに「与えられていない」から

だ。


お陰さまで、仏教でいうところの「求不得苦」(求めても得られない苦しみ)というほどではない

から、別段問題ないじゃない・・といえばそうなんだけど~・・・かえって私のなかでは

世の中の仕組みを理解するためのよいケース・スタディーの一つとして見守っている。


「環境汚染問題」「自然破壊問題」「地球ガイア説」など・・世界が経済的発展と地球環境との

調和を語りだし、率先して企業イメージに取り込むようになった。


私は特別に環境保護に熱心ではないが、時々「?」を持つことで未来を想像するのが楽しみ

なのだ。そして、このような技術が世間に反映されるまでのストーリーのほうに、大きく興味を

そそられるのだ。

例えば、VHSとベータの世界標準化に関わる物語のような・・そうした、様々な「リアルだから

語れない物語」が現在進行形であることに興味がわく。


だってそうでしょう。もし、発売できるということは、裏側の様々な諸問題がある一定水準の

解決をみてしまっているわけでしょうから。それができないから、商品になれないんでしょう。


経済アナリストではないから、こっから先はあくまでも素人評です。


そもそも「洗濯」の必要性は、衣服を構成している布の繊維に「付着した汚物」があるから。

この繊維上の汚物を取り除くのが、洗濯ということ・・なんだから、必ずしも「洗濯洗剤」を

使わなくっちゃ~ならないということはない。


それを今人類史とされている所の歴史的・慣習的な「溶剤による洗濯」が主流になっている

ことが、「洗濯の効果=洗剤の能力」の公式を形成していると思う。


でも、これ以外に「洗濯」のルーツはないか・・といえば、今を流行の「韓流」にみられる「砧」。

つまり、洗濯物を石とか木とかで、パンパン打ちつけて汚れを落とす方法ね。

私が「砧」という言葉を知ったのは宮城道夫先生のお陰ですが、旅行中に盲目の宮城先生が

耳にした「砧」の光景(音)は、とても軽快で印象的だったようですね。


ということは、繊維に付着した汚物を物理的に分解して、繊維からの剥離を容易にするのも

OKな方法・・・・というので、金属の「洗濯」に使用されている「超音波方式」を家庭用にした

のが、最初にご紹介した記事の内容。

ポチポチ、「洗剤と超音波・合体型」のような洗濯機が出てきたけれど、もうひとつ発展しない

のには、きっと「陰の力」があるはずだ。ゼッタイ・・!


と、ここで浮上するのが「家庭用洗剤メーカー」と「石油関連企業」の存在なんですけれど、

私はそれが悪いとか、そういうことではなくて・・、世の中の何かが新しくなっていこうとする時

には、その方向性に「より多くの人の幸福」の存在が常に計られる・・ということを計算しなくて

はいけないんだな~~~と、深く思っているということがいいたかったんです。


つまり、洗剤という観点から見れば、かりに洗剤不要をいっせいに実践した時にどれほどの

人たちがこの影響をプラスあるいはマイナスとして受け止めなければならないか・・・という、

視点で考えて、よりプラスを出していきながら実施していかなければならないという「時間的

誤差」を計算しておかないと、一人の人生では「取らぬ狸」になってしまうかもしれません。


環境問題で簡単に片付かないのは、一方で「沢山の家族が、その利益で生活している」と

いう事実との調和が必要だからなんでしょうね。

けしからん!と言われても、だから「できるだけ速やかに」をなんとか企業努力していただきた

い!と願うしかないでしょう。企業が、常に社会的貢献の信条と利益の追求を調和させていく

ことの難しさは、私たちの到底知るところではありませんから。


それでもきっと、そう遠くない未来に「洗剤不要洗濯機」が一般家庭に普及したら、次は「水不

要イオン式洗濯機」の登場はスムーズかもしれません。

だって、ほら水は今のところ天からの頂き物で、水の使用量が減少して生活に困る「人間」

は、そんなに多くはないでしょうから・・・。


それよりも、「洗剤を使わなくてもいいんだよ!」ということが「当たり前」の世界は、きっと

海も空も青いんじゃ~ないでしょうかしらね。

2005.06.23
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by rolferK | 2005-06-23 18:37 | スピリチュアル

佐藤錦

今年も実家の母から「佐藤錦」が届いた。
山形を田舎にもった楽しみのひとつである。


その「佐藤錦」を結構大量(20キロ)に盗んだ悪党がいると聞いた。
なんで悪党と言うかといえば、勿論「農家さんの精魂込めたサクランボ畑から直接失敬した」
からである。

これは、一番悪辣な盗みである。

サクランボを収穫するということは、一年がかりの仕事である。
ようやく、その一年の「喜び」を盗んだから、悪党なのだ。

同じ盗みをするなら、銀座の千xxさんとか、新宿の高xさんとか・・・とにかく、有名果物店や
デパートの一郭にある「佐藤錦」を大量に盗みなさい!

そのくらいの努力もしないで、一番簡単な方法でシメシメと高をくくるなんざ、「泥棒の風上
にもおけない!」と誰か説教してやってください・・・!

と書きながら、他人の「喜び」を妬む思いが「泥棒の始まり」か・・と納得した。

                                      2005.06.22
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by rolferK | 2005-06-22 00:30 | 季節・ガーデニング

今夜は夏至の夜・・・・キャンドル・ナイトとはいかないものの、部屋の電気は消してお手元

ランプをつけました。

雨音も聞こえ始め、そういえば部屋に入る風が少しヒンヤリとしてきました。


私は子供の時から「夜」が好きです。

暗闇は怖いのに、なぜか「夜」にとても心が惹かれます。


夜は「昼」と全く違った世界を想像させてくれるような気がするのです。もし昼を現実の世界・

あるいは物質の世界とするなら、夜は空想の世界・あるいは精神的世界の入り口がいつも

身近に存在しているように思えるのです。


子供の頃は両親が仕事で留守がちでしたから、ある意味で「夜」を充分に満喫していました。


東京大学・農学部の近くにある西片町という、加賀藩前田家の屋敷町に7年間暮らしました。

当時はJRも地下鉄もアクセスがなくて、東大構内を横切って歩いていけば30分ほどの

道のりも、バスを使えば有に1時間以上はかかるような(最大1時間半かけたことがあります

が・・)不便極まりない住宅街でした。


けれども、当時の私にとってはその不便さが、かえって楽しみの一つになってもいました。


すでにその当時から「中学受験」のための塾通いがありまして、小5から小6の頃にはバスで

茗荷谷にある受験塾に通っていました。(通うことと、勉強をすることはイコールではない。

ということが経験です。)


10時頃に、ようやくバスに乗って最寄のバス停についた頃には人通りは全くといっていい

ほどありません。ところどころの電灯も今ほどの明るさはありません。

すべてが、うすボンヤリとしている中を、まるでおとぎ話か映画のなかをあるいているような

気持ちになるのです。


昼間でも人の気配を感じることのできないような大きな家が立ち並ぶ一本道は、少し上り

ながら遠くに続いています。

小雨の降る梅雨時や秋の頃には、うっすらとモヤのかかったようなその一本道が、いっそう

現実のものではないような気配を強くしていきます。

たまに遠くに見える人影は、こちらに向かっているのか、それとも遠ざかっているのでしょうか。

そんなことも定かにできない夜の西片町で、私はもう一つの世界に浸ることができました。


12時も過ぎる頃になると、少し離れたお屋敷で飼っている孔雀が甲高くて、そのくせに悲しく

なるような鳴き声をあげました。その声につられるわけではないのでしょうが、不思議と同じ

ころに、遠くの上野動物園から様々な動物たちの鳴き声が混ざり合って風に運ばれては、

大きくなったり、かき消されたりしながら、まるでなにか空想の生き物の声のように聞こえ

ました。



雨が降るとその声もさすがに届かなくなってしまうのですが、その代わりに時折響く雷鳴が

たった一人の部屋をいつもと違う空間にしてしまうような気がしました。



そんな時は全ての電灯を消して、吹き込む雨をよけながら時間を忘れて雨の落ちてくる低い

夜空を見上げました。雷を待つのです。


雷鳴に耳をすませて・・1・2・3、次の閃光を先に感じ取るのです。右・・・左・・・上・・・。

二階家より高い建物のない高台の町でも、窓から見える空は狭く細長かったはずですが、

長々と竜のように這い回る雷の光はとても魅力的でした。


今夜の雨は、もう雨音も薄れてしまいました。

遠くで、まだ残っている田んぼのカエルがないているのでしょうか・・・。

                                              2005.06.21
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by rolferK | 2005-06-21 23:59 | 季節・ガーデニング

キャンドルナイト・夏至

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キャンドルナイト・・・という言葉に惹かれてサイトをあけた。

「100万人のキャンドルナイト」というキャンペーンである。


18・19.20・21日と、全国規模のイベントもあるようだが、基本は夏至の夜に「電気を

消して・・・」というメッセージであると感じた。


2・3日前だったか、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」を思い浮かべていた。

そうしたら、昨日ある女性から谷崎の短編を紹介してもらい、「アラ・・」と思っていたところに

今朝の「キャンドルナイトのメッセージ」である。


一昨日のブログに偶然はない!と公言したのよね・・・・と、いえ、これは単なる言い訳です。

参加したいと思ったので、そのまま「キャンドルナイト」のイベント参加を申し込んだ。

勿論、ちょっと宣伝効果の下心もある。

といっても、あと二日ばかりの短い参加期間だから、ホタルの光くらいのものだけど。



そういえば、研修のため初夏のBoulderに初めて出かけると決まった時、一番に夢見たのは

子供心に焼きついた「満天の星空との再会」・・だった。

ロッキー・マウンテンの麓、アメリカの大自然の只中にある標高1000mの街Boulder・・・・・

ときいて、雄大な星空を思わぬ人はいないと思う。


しかし、結局一年ほどのBoulder生活のなかで、私が見上げていたのは、大阪とそう変わら

ない星空だった。

「なんで・・?」誰に尋ねるわけではないが、誰か知ってる人がいたら教えてください。




まだ子供たちが小さくて、毎日があわただしく過ぎ去るばかりに思えていた頃、用事で乗った

主人のカーラジオから聞こえた話が、その時の私を一瞬で宇宙空間へ吸い上げていったのが

忘れられない。


  「僕が研究のために、エジプトのギザへ行ったときのことなんですが、(何かの理由で)
 
  夜間の移動がありまして・・・、こう数人が腰にロープをつなぎましてね、順々に進んで

  行くんですが、エジプトの夜は本当に暗い!真の闇なんです。
 
  僕の前にも人がいるし、後ろにもいるんだけど、それが目では全く見えない。

  地面と空との境もない、すっぽりと全てが闇に包まれている中を、ロープだけを頼りに

  進んでいくんです。

  まるで満天の星の中を、僕は進んでいるようでした。・・・・・・・」



夏至の夜に「電気を消して・・」、谷崎のいう「陰影礼賛」の時間をもつことは、もしかしたら

地球のもう一つの恵みを受けとろうとすることでもあるような気がする。


地球の、もう一つの恵み・・・それは「夜」です。

                                               2005.06.20
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by rolferK | 2005-06-20 15:42 | 季節・ガーデニング