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思いつくまま・・Rolfer日記

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主婦からRolferとして人生再建して12年経過。ロルフィング・ムーブメント・健康・・そして、マイペースに思いつくまま・・。

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と、夜中だというのに突然そう思った。

子供の頃は、夜更かしして見ていたテレビのコマーシャルに映っていた「インスタントラーメン」
が無性に食べたくなったりしたものだが、最近では特にコレ!というものもなくなった。・・・と
思っていたのは、間違いだったらしい。

だいたいが、新鮮な「ルバーブ」を日本で購入できるのだろうか・・?

ルバーブとの出会いはBoulderでの散歩道だった。

下宿先から数分ほど歩いた家の庭先に、ひときわバサバサとした大きな茂みがあった。
大家の奥様のルーさんが、しきりに「欲しい、欲しい・・」とそのバサバサでびっしりと産毛の
はえた葉をなでまわしていたが、とうとう 意をけっして庭に続くその家の玄関先へと入って
いった。
そして、さも嬉しそうに「くださるって・・・」と言いながら、そのバサバサの葉のついた太い
茎を数本も根元からちぎって持ち帰った。

一つはルーさんが作るから・・でもあったが、正直なにか美味しいものになるとは 思えな
かった。

ところが、「初めてなのよ・・」と言いながら、スウィートのレシピどおりに作った「イチゴと
ルバーブのパイ」の美味しいこと!!!
イチゴとルバーブの酸味が、アメリカには似つかわしくないほどお洒落なパイだった。

私と同じ理由で食べることを躊躇していた旦那様も、最後の一切れを危うくゲットしてパイを
食べてから、「こんなに旨いとは・・」とお替りの出来なかったことを悔やんでいた。

植物検閲がなければ、私はルバーブの苗をまちがいなく持ち帰ってきただろうに・・・。
残念です。

せめて、思い出したルバーブをみなさんにご紹介したい・・と言うわけで、「tabizou」のブログからルバーブの写真をお借りしました。ありがとうございます。
ルバーブだけで、ジャムを作られたようですね。かなり、美味しかったようです。
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ダイオウ・大黄

[ 学名 ]Rheum tanguticum

[ 通称*1 ]ルーバーブ rhubarb

[ 使用部分 ]根茎

[ 注 ]*1 英名・和名(原則として植物名、鉱物名のカタカナ表記)

[ 参考文献 ]
Chinese Materia Medica (You-Ping Zhu)
CHINESE MATERIA MEDICA -Secord edition- (Shiu-ying Hu)
Chinese Herbal Medicine(Daniel P.Reid)
中薬学 ~高等医薬院校教材~(上海科学技術出版社)
漢薬の臨床応用(神戸中医学研究会)
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by rolferK | 2005-09-30 03:24 | Boulder
昨日28日、近鉄文化サロン・阿倍野校でのRMクラスが終了しました。

突然でしたが、クラスの一つの区切りに 小さな「気づきのためのワークショップ」をしたいと
いう願いを 実行しました。

生徒さんがたには、突然のことで戸惑いもあったでしょうに、皆さんがそれぞれに「気づきと
理解」にとりくんでくださって、そして本当にその方のために「今、気づくこと」を気づいてくださ
いました。

その中で、私は「とても大きな遣り残し」をしていたことに、今朝になって気づいたのです。

クラスの方が、一人でもこのブログを見てくださることを願って、昨日「遣り残したこと」を
今やります。

昨日だけのミニ・ワークショップでは、”からだの声をききなさい”から引用して、自分の体の
不調を感じている一箇所を選んで、そこからの「メセージに気づき、理解する」というものでした。

クラスの一人ずつが「それぞれの気づき」を共有していったときの、Hさんの言葉でした。

「今は、考えても特別には浮かんでこないから、特別なことというより、そういう時期なのだか
ら、その時がきたら終わる・・と思います。」
確か、そうしたことをおしゃったと覚えています。

私は、「今はわからなくても、そのことに気持ちを向けたということが、きっと大切なことなんで
すね・・。」
と、わかったような返事をしました。なんということでしょう。

Hさんからは、すでにハッキリとした「答え」をきいていたのに・・。

彼女の体は「特別なことではない。」と彼女にはっきり伝えていました。そして、「その時まで
心配せずに、時を過ごすように。」とハッキリとつたえています。

それなのに、私は「メッセージに気づけなかった」と思い込んで、Hさんを 励まそうと・・
そう考えていたのです。
なんて失礼なことをしてしまったのでしょう。

朝起きてスグに、そのことに気づいたときは、「今からでも、スグに彼女にそのことを伝えて、
ごめんなさい・・。と謝りたい」と思いました。

それでも、少し時間をすぎてみると、Hさんは私の過ちをあの時きっと気がついていたのだろうな・・。そして、その私が自分で過ちに気づくのを待っててくれたんだな・・と、そう思えたのです。

Hさんは、昨日でクラスを卒業していかれました。とても大きな私へのプレゼントでした。
本当にありがとうございました。

クラスの方がつくっているブログにTBしましょう。
いつか、Hさんにも「私が自分で気づけたこと」が伝わってくれますように・・。
                                        2005.09.29
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by rolferK | 2005-09-29 12:15 | Movement
映画・「チャーリーとチョコレート工場」が、ヒット上映中ですね。
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全国の映画館の中には、上映中に「甘いチョコレートの香り」を漂わせるところもある・・・とか、
チョコ独特の、あのカカオの香りに包まれたら・・・どんなにハッピーでしょう。

そんなことを思いながら、今日久々に「チョコレート工場」に大好きなレーズンチョコを買いに
行ってきました。春には櫻が美しい、生活廃水の流れ込むにごった川沿いの角地に、5階
建ての「チョコレート工場」はあります。
外から見たら、本当にその中で「あの、甘くて、可愛くて、美味しい」チョコレートが生まれて
いるところには思えないほど、静かで、香りもありません。
ただ、子供用のイスを荷台に据えた自転車が 何台も工場の周りにとめられていて、
中では若いお母さん達が働いているだろうことが分かります。

誰もいないようなガラスドアのインターホンに向かって「レーズンチョコをください・・」と
言って、少し重いドアをグ~っと押し開いて 中に入ります。
すると、人の気配の全くない空間イッパイに チョコレートのカカオの香りが 鼻の奥をつく
ほど濃厚に充満しています。けして、「チョコレート工場の中」には入ることができないけれど、多分それが工場のなかでは一番「薄い香り」なのだろう・・といつも思うのです。

すばらくは、そのカカオの香りだけが 唯一吸い込める空気です。
すこ~しは鼻もなれますが、それでも鼻の・そして喉の奥は「カカオは香辛料である」と
いわんばかりに、熱い刺激を感じていました。

私の待たされる誰も居ない空間に、チョコレートのはいった手提げ袋をもって出てくる人は、
全身まっ白で清潔な作業着と顔のわずかが見えるだけの白い被り物で頭をスッポリ覆った
女性でした。
きっと、表の自転車に乗ってきた人でしょう。

一日をこのチョコレート工場ではたらいて、待っている子供たちをお迎えに行った時、きっと
子供たちは「お母さんの甘い香り」を胸いっぱいに吸い込むのだろうな・・。と、思いました。
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チョコレート工場「サロン・ド・ロワイヤル」
                          
                  大好きなレーズンチョコ
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by rolferK | 2005-09-28 20:03 | 季節・ガーデニング
原題は"Children Learn What They Live"。1954年に当時9歳と12歳のお子さんの
d0065364_221016.gif母だった Dorothy Law Nolte(ドロシー・ロー・ノルト)女史(教育家・心理学博士)が、書いたものだったそうです。

それが、世界中に紹介され、多くの方々の導きになったそうですが、一方では勝手な解釈によって 本来の内容と大きく変形してしまったものも多くあるそうです。

日本でも随分昔に「子は親の鏡」という邦題で翻訳され、広まっていたそうですが、残念なことに子育て中の私の手元には届いてきませんでした。
きっと、私が見て見ぬフリで すり抜けてしまっていたのかもしれませんね。

幸いなことに、ようやく私はこのステキな詩にめぐり合うことができました。

そして、フッと気づいたのですが・・・これって、私たちが「自分を育てるために、とっても有効」
だということです。もう少し限定すると、「自分の身体を健全に保つために有効である。」と
強く感じました。

特に、励ましてあげれば・・から、見つめてあげれば・・までは、Rolferがみなさんと一緒
にしていること そのまんまです・・・よね。

詩・「子は親の鏡」

けなされて育つと、子供は、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子供は、乱暴になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子供は、みじめな気持ちになる
子供を馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子供も人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子供は「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子供は、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子供は、明るい子に育つ
愛してあげれば、子供は、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子供は、自分が好きになる
見つめてあげれば、子供は、頑張りやになる

分かち合うことを教えれば、子供は、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子供は、正直であることの大切さを知る
子供に公平であれば、子供は、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子供は、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子供は、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子供は、この世の中はいいところだと思えるようになる
                            ドロシー・ロー・ノルト

本当にすぐに役立つ知恵がイッパイの素晴らしい言葉ばかりです。

そして印象に残ったのは、「50年代のアメリカでは、子供を厳しく叱ることが親の役目だと
思われていました。子育てで大切なのは、子供を導くことなのだと考える人はあまり
いなかったのです。」というドロシーさんの言葉でした。

私たち、現代人の社会・・特に大人の社会は、「叱ること」で鼓舞させ、成長させようとする
世界のように 私には感じられます。
体験したわけではありませんが、「軍隊式教育法」が、一般社会・・特に会社という組織のなかに、すっかり溶け込んでしまっているように感じられるのです。

ですから、正直成人して大人の世界に入っていけば、本当の意味で「誉めてもらう」などという
経験を いったいすることができるのかしら・・と思います。

本当は小さな成功の積み重ねの上にしか「目に見える成功」は築けないはずですが、誰も
小さな成功の一つ一つを丁寧に見つけて誉めてくれることなど、あるはずもない世界です。
そして、また「誉められたくてやってるんじゃない!」世界でもあります。

でも、もし、そんな自分でも「誉められたら・・」心から嬉しいに決まっています。
嬉しい・・というのは、本当に隠せない感情で、言葉にしなくても「身体」にあふれて現れます。
そして、その嬉しさは、絶対周りにも伝染してしまうものです。

だから、「嬉しい」自分がいることはきっと皆にとって「善」であるにちがいありません。

もしかしたら、Rolfeingって、「自分への誉め方」を練習することだったかもしれないわ・・と
真剣に今思っています。
       (ドロシー博士のお写真は、雑誌・クロワッサン669号から拝借いたしました)
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by rolferK | 2005-09-27 02:41 | スピリチュアル
急にさわやかな秋風がふいて、肌寒ささえ感じてしまいます。

つい先日まで「涼」をはこんでいた何処かの軒先の風鈴の音が、あっというまに季節外れな
音に感じるのです。
私たちの「体」のもっている「季節感」は、ほんとうに細やかですね。

日本では、都市型の狭い空しか見ることもありませんが、それでも空を見るのがスキです。
ですから 秋になると、いよいよ「空」を見上げる楽しみが増えていきます。

高く蒼い空と薄く白い雲・校舎の窓まで金や赤に染める夕焼け・コバルトからローズ色までの
残照・そして、ネコのつめのように白く浮かんでくる三日月・・・・。

本当は美しい朝焼けも・・・といいたいところですが、どうも朝は日の出に間に合いません。
それでも二十数年前に熱海から東京へ向かう始発の窓から見ていた「夜明けの色」の
美しさは、今も忘れてはいません。

とくに子供の頃は、学校の屋上に居残っては「大きな広い空」に流れる雲の変態を 飽きずに
眺めることが、秋の日課だったように覚えています。

そんな私でも、さすがに「オォォォォォ~・・・」と、唸った雲がありました。

東京に在住の友人が、九州に出かけた時に見つけて送ってくれた絵はがきの雲です。

正直、最近流行のCG処理ではないかしら・・・と 疑いたくなりましたが、なにしろ送ってくだ
さった友人のお人柄からして、「本物だそうです!」と言われれば信じるほうが私にとっては
当然です。
ですから、皆様にも「本物」としてご紹介します。

私の心の中では、「空からのメッセージ」は本当にある。といえるのですが、それを裏付ける
現代科学的根拠を提示できませんから、ただ 「私はそのようなものが、アル!ということを
信じています。」ということで、早速 「鳳凰雲の絵はがき」です。
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by rolferK | 2005-09-25 23:27 | スピリチュアル
まだ再読中なのですが、もしどなたかがこの抜粋を見て 本書と出会うキッカケになったら・・・
そう思ったら、ブログにご紹介したくなりました。

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by rolferK | 2005-09-25 03:22 | スピリチュアル
昨夜、というよりすでに日付が今日になってしまった夜中に、無性に気になって再び開いた。
就寝前の僅かな時間に、どれほどの「気づきと思い」を与えられたろう。

そして、フトンに入っても暫くは「何故、今夜だったのだろう・・。」という思いと、「私は何を彼女
に求めているのだろう・・。」という思いにひたっていた。

皆さんは、エリザベス・キューブラー・ロスという女性をご存知でしょうか。
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私も「死ぬ瞬間」(読売新聞社・刊)という著書と大学時代に出会って以来、時折彼女の新刊に触れたほどの読者にすぎないのですが、それなのに「いつも心のどこかで追っている存在」の一人になっているのです。

その彼女が「本書がまちがいなく私の絶筆になる」と、20世紀の終わりと今回の人生の終わりを見据えて記した「The Wheel of Life・人生は廻る輪のように」に辿り着けたことは、間接的だが、少なくとも 大学時代に彼女と出会った私の願いが叶ったのだと思っているのです。

そして、夜中突然にまた彼女のこの本を開くとき・・「記憶から消え去らないくらい、彼女の言葉を大切に読みたい。」と思った私を励ますように、夕方には家の玄関先に「アオスジアゲハ」が訪れました。
バイトに出る娘を送った足元に、アオスジアゲハはじっと停まっていたのです。
「来てくださったの・・ありがとうございます。」瞬間に心の言葉が出ました。
勿論、蝶がエリザベス自身ではないのが、彼女の見えない意思を伝えに来てくれたような気がしたのです。
アゲハは追っても、追っても、その度に私の玄関先に戻って、ただじっとしていました。
主人のクライアントさんのお帰りと同時にアゲハは夜空に飛び去りました。主人に見せようと
思ったからでしょうか?
コウモリにはみつかりませんように・・と少し心配でしたが、何かが確かになったような感謝を
感じていました。

そして、只今も読書は続いています。
最後まで、言葉をしっかりと受け取りたいと願って、ブログにしておきましょう。
                              2005.09.24

地球に生まれてきて、あたえられた宿題をぜんぶすませたら、
もう、体を脱ぎ捨ててもいいのよ。
からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、
たましいをつつんでいる殻なの。
時がきたら、からだを手放してもいいわ。そしたら、
痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。
神様のお家に帰っていく、とてもきれいな蝶のように自由に・・・・・・・。
                 (がんの子供への手紙から)

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by rolferK | 2005-09-25 00:52 | スピリチュアル
Rolfing大阪というタイトルのHPに、recommend(ご推薦)というコーナーを設けていましたが、その時々のご紹介を兼ねて いつかブログに移したいと考えています。

その前に、いままでの分をここにリンクいたします

私の独断趣味ですが、よろしかったら一度いらしてください。
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本・CD・健康関連雑貨など・・ほんの少しですが。





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by rolferK | 2005-09-24 01:20 | 映画・音楽・書籍
ちょっと前になります。
2匹の仔猫が来るようになったいきさつの裏に、こんなことがありました。

私たちがBoulderに出かける年の「JAFメイト」という毎月配達される冊子の表紙が、なんとも
可愛いハリネズミでした。その年の表紙は「ポストカード」として売り出されましたから、早速
しばしの別れに・・と、娘へのプレゼントにしました。d0065364_230391.gif

そして、渡米中の犬のタロウの死、帰国後のネコのタマの死に・・・でも、やっぱり「何か生き物
と暮らしたい」という思いが モリモリとわいてきていたのです。

そんな時、懐かしいハリネズミの表紙に目が留まった娘と私は、「次はハリネズミだね!」と
インターネットで早速「私たちのハリネズミ探し」を始めました。

そして、「四つ指ハリネズミ」というペットとして飼われているハリネズミに辿り着きました。

可愛い、可愛い・・・夜行性で、温厚で、回し車をまわしたり、鼻をクンクンと動かしたり・・・。
すっかりその気になってしまった私たちは、さてどうやって飼育するんでしょう・・?と「お世話」
の仕方をみてみますと・・・・
捕虫食!!!

虫が大の苦手な娘には、なんとも辛いお食事です。それでも、ペットフードも食べてくれると
か。なんとか「飼いたい」一心で、解決策を探っていった最後にこんな一言が・・・ 
ペットフードに加えて、ピンクマウスを与える。できれば、ピンクマウスは刻んだものがよい。

ピンクマウスは、ネズミの赤ちゃん達のことで「冷凍状態」で販売されています。
屋上ガーデンの大切なミミズさんたちを ほんのちょっと分けてあげてもいいけれど・・・、ハリ
ネズミ自身の幸せを考えると ペットフードばかりの毎日はきっと味気ないものでしょう。

私たちは、ハリネズミが永遠の「憧れ」なのだと納得しました。
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by rolferK | 2005-09-23 23:01 | 猫たち
神戸女学院大学教授であり、武道家(合気道)である「ウチダ・タツル」先生の著書「街場の社会学」をきっかけにして、時折先生のブログを拝見する。
今日、久しぶりにお邪魔して・・・オッ・・・という言葉に、無断拝借してきました。

内田先生、ありがとうございます。

以下にその部分だけを抜粋します。

2005年09月21日
ブルーな火曜日(抜粋)

岸田秀の「共同体のアイデンティティは自我のアイデンティティと同型的である」という洞見には25年ほど前に腰を抜かすほど驚愕した記憶がある。
社会有機体説というのは、人間は社会構造をつくるときも自分の身体構造以外にモデルにするものがないという考え方で、岸田理論はそれを転倒してみせたわけであるが、まさに問題はご指摘のとおりこれがループをなしているということである。
つまり、社会構造は人間の身体構造をモデルに構築されているのだが、その人間の身体構造の方も、自分を含む社会構造をモデルにしてイメージされているのである。
現代日本の社会構造は中間的な共同体が解体して、二極化が進行しているが、これはそのまま現代人の自我イメージと重なっている。
個人の身体においても緩衝帯としての「中間的なもの」が消失して、権力、情報、威信、資本が「脳」に集中し、「身体」はメカニカルな操作対象の地位に転落している。
つねづね申し上げているように、脳と身体を二極化するのはすでにひとつの「物語」であって、実際には脳は身体の一部であり、身体はすみずみまで脳化されていて、二極分化ということは「現実」にはありえない。
私の脳は「あんこもの」を食べると活性化し、眠くなったり過度の飲酒をした場合にはまったく非活性的になる。
おなじように、私は身体の不調をつねに外在的な「病魔」がイノセントでピュアな私の「身体」を侵略するという「物語」に即して解釈している。
脳はフィジカルな器官であり、身体は物語を生きている。
にもかかわらず、脳と身体の二極化ということが「実感」としてリアルであるという事実は、社会階層の二極化が(まだ現実化していないにもかかわらず)すでに「実感」としてリアルであるという事実と並行している。
ある種の政治イデオロギーが身体変容さえももたらすということは現実にしばしば起こる。
きわめてファナティックな政治イデオロギーの持ち主はやはり奇形的な身体をしている(過度に病的であるか、過度に健康であるかどちらかである)。
健全な社会理論の持ち主は、原理的に「弱い敵との共生」ということを優先的に配慮しているので、たいていは「軽度の疾患」や「軽度の不全」とうまくネゴシエイトする身体を持つようになる。
「一病息災」という俚諺があるが、これはほんとうの話で、「めんどうな身体的な不全」とやりくりしながら生きている人は「めんどうな他者」とのやりくりにも同じ技法を適用することができる。
「息災」を「破局の到来をたくみにヘッジすること」という意味と解するならば、まさにそのとおりなのである。

私にとっては、釈尊が説いた「色心不ニ」(心と身体は同一のもので、別々に切り離して存在
することはできない。)という 教えを実感していますから、上記の先生のご論考には 時折
??的な立場になることもありますが、
社会有機体説というのは、人間は社会構造をつくるときも自分の身体構造以外にモデルにするものがないという考え方

つまり、社会構造は人間の身体構造をモデルに構築されているのだが、その人間の身体構造の方も、自分を含む社会構造をモデルにしてイメージされているのである。

脳はフィジカルな器官であり、身体は物語を生きている。

という箇所には、Rolferという仕事をとおして 深く頷くところがあります。
ですから、自分の身体への対応が上手にできるようになっていくと、不思議と「人間関係」を
より円滑に進めていくことができるようになっている・・というオマケが、もれなくついてくるよう
です。
現代社会の「ストレス」の多くが、この「人間関係」の軋轢が原因となっているとすれば、
「変えることの出来ない他人」に不平をいうより、「変えることのできる自分」に取り組むほうが
ズ~っと 「急がば回れ」の近道であったりするのです。

半年後・一年後・・・今思いもしない、いえ、本当は思っているけれど「自己否定」してしまって
いる自分と出会っているなんて、考えただけでも嬉しくなりますね。
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by rolferK | 2005-09-23 18:09 | ワタシ