思いつくまま・・Rolfer日記

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主婦からRolferとして人生再建して12年経過。ロルフィング・ムーブメント・健康・・そして、マイペースに思いつくまま・・。

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ムムム・・できるな!

競泳のイアンソープが、次の北京オリンピックを目指してOFFに入ったと聞いた。

彼が練習を欠かすことはないだろうが、暫くは競技をOFFにするということだろう。

そして、OFFの間に「普通の生活」を楽しむのだという。


その彼がOFF中にしたいこととして、「料理」と「ガーデニング」をあげている。

この彼の選択をきいて、「ムムム・・できるな!」と思ったのは、おばさんの直感というものか。



私の生家は曹洞宗(禅宗)であることをツイ最近知った。

(いつのまにかブログを見た母から、「分家して245年ず~っと曹洞宗ですよ。」とのイエロー

カードをいただいた。子供の記憶ですから・・ありがとうございました。)

けれども、TV番組に特集される永平寺(福井県)の只管打座の光景などは、子供のころから

惹かれるものを感じたりしていた。


ある番組で、永平寺の「まかない」を中心に放映をしていたことがあった。

古い記憶なのだけれど、「まかない」に入れるということは、少なくても只管打座の修行を

とおしてある程度の心境に進んでいなければならない・・ということだった。


「座禅」ではなく「動禅」の修行である。

「料理をする」という「行為」をとおして、仏と相対峙することのできる心境をすすめていくのだろ

う。


そういえば、「まかないの天使」という言葉もきいたことがある。

「愛」の思いを込めて料理や家事に没頭しているときには、その人の傍らに「まかないの

天使」が寄り添っているらしい。


全く違った二つの表現も、「よき思いを込めて、没頭する」というキーワードがみえる。

そうすれば、「天使」や「仏」といわれる「天上の霊的な恩恵」が近づいてくるのだろう。



「ガーデニング」にしても、ご隠居さんの「盆栽」にしても、昔から精神的修養を求める人々が

植物を「育む」ことをとおして得るものは大きい。

私でも「植物をとおして学んだこと」は、自分をみつめるためのキーワードである。



だから、若干20そこそこのイアンソープが「料理」と「ガーデニング」をとおして「普通の生活」

をするために、わざわざ競技生活をOFFにするという選択を軽々とこなしているということ

自体が、すでにイアンソープの可能性を感じさせるのだ。



もしこの直感が正しければ、さらに彼は競技中に「よき思いを込めて、没頭する」ことが出来る

ようになるだろう。

そして、えもいわれぬ幸福感の一瞬を全身で感じることができるのだろう。

是非、そうであってほしい。
                                           2005.06.12
                                      
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# by rolferK | 2005-06-12 11:25 | Movement

梅雨入り

関東地方が梅雨にはいったと聞いた。

今年の梅雨は北のほうからやってくるらしい・・。


そのせいか、今夜の大阪は随分寝苦しく思える。

こんな夜は、きっとホタルが群れをなして舞い上がるのだろうな・・と、まだ肌になじめない

夜を紛らわしてみた。


そういえば、日本の家屋は「夏を過ごすために建てられた」ときいたことがある。

お陰で冬は隙間だらけで、なんともいえぬ底冷えがするのだが、それでも「夏」をしのぐことの

ほうが、長い間の人々の関心事であったことは確かだろう。


まだ、私が学生服をきていたころには、5月の初夏を思わせる日差しの中を「つめ襟・制帽」の

男子生徒が気の毒に思えた。

そのくせ、6月の「衣替え」を迎えると、毎日降り続く雨が半袖に寒々しく感じたものだ。

「なんとも融通のきかない制度」に、子供といえども疑問をもった。


ところが、最近はなんだか季節がウスボンヤリしてきているようで、過ごし易いのはいいの

だが、なにやら妙な気分になる。


せめて「グッズ」だけでも「四季」の移ろいを感じていたい・・と思うのは、もう年のせいなの

だろうか。


一時、何もかもが「洋風のグッズ」で一色に塗られていた若者たちの店先も、最近は「アジア」

や「和風」の湿度に馴染む品を目にすることが多くなったようだ。



日本の風景画をアカデミックな油絵で描くと、なんとも重苦しい色合いに感じる。

それを同じ作家がヨーロッパなどで筆をとれば、カンバスに軽やかな風がふきわたる。

湿度は人の目に見えるものなのだろう。


だからだろうか。

日本人は、ことのほか目で「涼」を楽しむ。


そういえば、「藍」の色はその濃淡に関わらず、日本の夏に良く似合う。

そして、あのほのかに甘さを漂わせた「藍染めの香」も、湿度のなかでしか感じられない。

 
                                            2005.06.11
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# by rolferK | 2005-06-11 02:55 | 季節・ガーデニング
なんとも使い古しのタイトルをつけたものだが、今日の気分はまさしく「ウェスト・サイズ・

ストーリー」です。


もとはといえば去年の帰国以来、初めて「自分のパンツ」を買いにいったのが始まり。

おばさんが「パンツ」と言ったからといって、けして下着ではありません。


この2年来、お洋服のお買い物はBoulderにある「バファロー・イクスチェンジ」という名の

古着屋だった。(ちょっとマダムは、ラグス・トゥー・リッチへどうぞ。)

といっても、アメムラあたりで見かけるごくごく若者向きのショップと比べても、質・量ともに

勝っていると思うほどである。


私は留学先だったBoulder以外のアメリカをほとんど知らないから、知り合いからの受け売り

なのだが、なんでもBoulderというところは平均的に富裕な階層の方々が多く暮らしている

そうだ。さらに、CU(コロラド大学)とナロパ大学をかかえる学生街でもあるから、かなりの

頻度で流行ものが古着にまわってくるらしい。


お陰で夏場のトップスなら$5くらいのお値段で、今年日本のお嬢様方がお召しになるらしい

フォーク調の品がよりどり・みどりだった。


さらに、Gパンも含めて「パンツ」が豊富。

ウェストのインチと股下のレングス表示がされたパンツが、ズラ~~っと綺麗に並べられて

いた。


私は、自分のサイズをしっかりと計ったこともないが、とりあえず「7」という数字を目指して

いけば、あとはデザインしだいだから、とっかえひっかえ試着室に持ち込んでは土・日の

楽しみに耽っていた。


うろ覚えのサイズ表示を思い出せば、「2」から「13」くらいまではどこの店(古着屋)にも

揃っていたと思うから、私は当然「ミドル・サイズ」そのもののはずだった。


あれから、約一年弱の今になって着たいパンツの「サイズがない」などという現実が襲ってくる

とは全く考えてもいなかった。


いや、そういえば帰国を前にしてルーシーさん(下宿先の奥様)にそういう話題を話した

ことを思い出した。


 私・「そろそろ、ダイエットを始めなくちゃ・・」

 ルー・「あら、どうして・・?太ってないのに・・。」

 私・「日本では、私のサイズはLサイズなの。バーゲンでお買い物ができなくなるから。」

 ルー・「そりゃ大変だ!日本はクレイジーね。」


そうだった、そうだった。

あの時の私の心には、たしかに慢心があった。

明らかにアメリカ・サイズに自分のスケールを麻痺させて、「けっこういける・・」とすっかり

悦にいっていた自分の姿がハッキリ・クッキリ見える。

「ダイエット」なんて、さらさら思ってもいませんでしたっけ。



その結果が今日の敗因です・・・と書いてはみたものの、やはり納まらないものがある。



私が本当に訴えたかったのは、「日本のサイズは、もしやクレイジーなのではありませんか」

ということでした。
                                       
                                           2005.06.09
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# by rolferK | 2005-06-09 20:29 | Boulder

当たり前のこと

昨日、東京から友人が来た。


仕事がらみの来阪だから、そうたっぷりと時間に余裕があるわけではないが、それでも

せっかくだからと時間を作って、遅い夕飯を一緒に楽しんでくれた。


BoulderのRolf研究所に通っている頃、彼女もPILATESのインストラクターを目指して

Boulderで頑張っていた。


「同じ釜の飯」を食べていたわけではないが、お互いがお互いの存在を励みに思いあい

ながら今も東京と大阪の地でがんばっていることを、どこかしら誇りに思っている。



早朝からのハードスケジュールで疲れた体に、ちょうどいいくらいのアルコールでほんのりと

頬を染めて、トレードマークの大きな目をさらに大きくしながら「リツコ、ど~思う?」と

熱く語る彼女が好きだ。


Rolfingと PILATESという「違うもの」をとおして、結局私たちがたどりつくのは、

「人間は心と体をきりはなすことはできないよ!」「部分で見るなんて不可能だよ!」という

いとも「当たり前」のところで、深く共感しあうのだ。


その「当たり前」のことが、まだまだ差別視される環境のなかで、彼女も自分のスタイルを

貫くために、明日からまた東京のスタジオでガンバルはずだ。



そんな友人をもっていることが、また勇気を与えてくれる。


「色心不二」。 当たり前のこと。

                                             2005.06.07
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# by rolferK | 2005-06-08 00:15 | Rolfing

三日坊主主義

過去に日記・手帳といったものが、続いたためしがない。


最近になって、その原因が自分の「完ぺき主義」によるものだったのだと理解した。


「完璧主義」だから理想だけはかなり高い。

高いから、中途半端な状態がひとつでも目に付くと「やる気」そのものが失せていく。

かといって、その「高い」はずの理想も、客観的にみれば「ごく普通」か、あるいは「普通以下」

であるところが、その渦中の自分には気づけない。

すっかり思考性が「自己中」にはまっているのである。



そんなことだから、理想肌の「完璧主義者」ほど、普通の人にもなれないという法則性の

ようなものに、この年になって気づいた。



Rolfingの極意でもあるが、「気づく」ということは、或いは「気づける」ということ自体が、

実は新生への第一歩になる・・!と、仕事ではクライアントさんに語っている。



ということは、いよいよ私も「役にたたない完ぺき主義」を捨てて、本来の自己の望むところ

に近づくことができる準備ができてきた。ということだろうと期待がうまれてきた。



とはいうものの、さて具体的に「完ぺき主義」に取って代わるべき、私流の「主義」やいかに・・

というわけで、思いついたのが「三日坊主主義」である。


本田総一郎氏の仰せの通り、人間「得てに帆かける」のが一番よいに決まっている。


とすれば、私は過去「完ぺき主義」特有の「三日坊主」であった。

これは長年の得意とするところである。


「三日坊主」であるから、まず三日間の継続が前提となる。

つまり、三日単位で努力目標を設定するわけです。


ところで、イチロー選手の打率は3割から4割であり、この数値を維持するための彼の

水面下の努力は常人のものではない。

しかし、比較対照を3割から4割という数値だけにさせていただくなら、月単位で「三日坊主」

をどれほど達成すればよいか・・と計算してみた。


小学生の計算になるが、一月30日として(30X0.3=9)で9日だから、月3回の「三日坊主」

で3割達成で、4回なら4割・・おや、「3」という数字はなかなかわかりやすうございます。


これを週単位になおすと、3割で0.75回・4割で1回。

つまりは、週1回の「三日坊主」を継続すれば、週単位の4割バッター気分を味わえるので

あれば、これはやりがいのあることです。


というわけで、1ページの設定も3日でページが終わるようにと設定をした。


といいつつ、今日がその1回目。

明日からは、また次の「三日坊主」だから過去の栄光に囚われず、コツコツと頑張れるという

シナリオである。



はてさて、こうして公言いたしましたので、とりあえずは「努力目標の設定」が無事終了し、

やめた時の言い訳もさわやかに語れるというものです。
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# by rolferK | 2005-06-06 13:13 | ワタシ

ほたる

ふっと、「ほたる」の淡い光がフワフワと漂う様を思い出した。


本当のホタルを見たのは、もう何年まえのことだろうか・・。と数えてみたが、十数年以上前に

子供たちへのお土産にと、どなたかが籠に入ったホタルをくださった時が最後だろう。


その前は・・・・・そういえば、父が久しぶりの家族サービスにと「椿山荘」(東京・文京区)で

催されていた「ホタルの夕べ」に連れて行ってくれたことがあった。


当時、小学3・4年だった私が今も覚えているのは、確かにホタルが椿山荘の広い庭の

一郭に光の絨毯のようなひろがりをつくっていたことよりも、その周りをとりまく長く・太い

人の畝を印象に強く覚えていた。

傍らで、父がしきりに「きれいだろう、きれいだろう・・・」と、私たち家族に尋ねるでもなく

繰り返していたことも思い出した。


きっと私は「うん、うん。」と返事をしていたにちがいない。

父がうれしそうにしてくれることをしないはずはないから・・・。でも、こうして思い出せば

わざわざ父が高い入場券を購入してまで見せてくれただろうホタルの光は、うっすらと「見た」

だけのものになってしまっている。



そんな私にとって、「忘れられないホタルの思い出」はもう少し幼かったころの記憶である。

たぶん、小学校にもあがってはいなかったころだろう。


私の田舎は山形で、母方の実家は上山駅に程近いところにある。

かならずではないが、夏のかなり長い時間をいとこの家をハシゴするように泊まって

過ごしていた。


私と一番年の近いいとこの家も、子供サイズの私には結構な大きなものだったが、

その家はなによりも実家のある(当時の)小さな町のはずれにあって、すぐ脇に「サンキチ山」

と呼んでいたコンモリとした山と、その奥の山々からあつめた水をたっぷりとたたえた川が

流れていて、その川沿いの土手道はとうとう行き着くことができないまま、記憶のなかでは

深い林のなかにうもれてしまっている。


きっとその頃の私が大人であったら、なんともこじんまりとした空間であることだろうが、

私のなかでは広い広い未知の空間が、その川沿いにひろがっていた。



当時は、それが当たり前だったのだろうが、母の実家もいとこの家も夏の夜には、寝室の

窓は開け放され、夏の匂いを含んだ涼しげな夜風が、くすんだ緑色の蚊帳ごしに柔らかく

ふきこんできた。

たしかに、どれほどか寝入っていたはずだが、ふっと目を開けた私のちょうど目線の先で

蚊帳にとまったホタルが小さな明滅を寝息のように繰り返していた。


その光景が私のホタルである。


しばらくして、ホタルはふわふわと柔らかな軌跡を描いて窓のほうへとんでいった。

普段ならトイレにたつのも怖いような夜中だったと思う。


私が次に思い出せるのは、ホタルの光を追いかけて見上げた夜空の星の数・・・・・。

何が何なのか分からないほどに沢山の星が、自分の背丈にとどきそうなほどに近く

感じられたことを覚えている。


九州や関西地方では、この6月4日5日のあたりに「ホタル祭り」を催すところが多いらしい。


私にとってのホタルは夏の蚊帳と結びついたままなので、6月とは少し早いように思うのは、

日本は春と夏が北上する国であることを思い出させてくれる。


*岡山県のホタルの里は、6月半ばが最盛期とか。
 北房・真庭市(ホタルまつり in 北房)のホタル情報  は、国内線ドットコムのHP
 で見れます。
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# by rolferK | 2005-06-05 16:35 | 季節・ガーデニング

子供の頃から「50の手習い」という言葉を耳にしていた。


それは、たいそう偉いことであるらしい・・と思っていた。


社会の歴史で習った「伊能忠敬」などは、その業績そのものの偉大さはもちろんだけれど、

なんといっても「50の手習いからの新・スタートにもかかわらず!」という副題が、もれなく

ついていたはずだ。


つまり、本能寺の織田信長ではないけれど、「人生50年・・」の時代に、その人生の終末から

新たなことに取り組むことは、非常な努力と勇気に満ちたことであると同時に、努力のワリに

は報われることの少ない・・なにせ、全てが急速な「減少・停滞・降下」の方向に進むなかを

少しでも向上しようというのだから。



ところが、いざ自分が50を目前にしてみれば・・・

「人生90年」いえ、100年は覚悟しなければいけないような状況にはいっていた。



生まれた以上、人は必ず死ぬ時がくることは承知している。

このシステムは、なんとも有難く、合理的なシステムだと歓迎している。


しかし、うまく老齢の途中で息絶えることが許されれば幸いだが、まかりまちがって

100歳を越えてしまう可能性も想定しておく必要がある・・・・!。そう思った。



「最期まで、自己責任の姿勢をつらぬく努力だけはしたい!」


当然どこまで出来るかは、やってみなくちゃわからない。

でも、始めっから人をあてにしている老人ほど、嫌われるものはない・・と、どこかで感じる

自分がいる以上、とにかくその反対方向にいきたい!と強く願っていた。


そのお陰か、50を目前に私はRolferになっている。



私の恩師のひとりであり、大先輩にあたるヘザー(Rolfer)も50からRolferになって20年の

キャリアを積んで、ますます可愛いRolferでありロルフ・ムーブメントの先生である。



アメリカへRolfingの研修のため日本を出発する時、(日本の)同年輩や年下の人達の

反応は「いまさらそんなことをしても・・」というものだった。

そのころは、たしかに今より若かったのに。



そんな中で、息子・娘の賛成がうれしかったのは勿論だが、85を越えて病床にある父と

その看護に本当に誠心誠意をつくす母が「祝福」をしてくれたことは、最大のエネルギー源に

なった。



すでに、自分の人生の終末をカウントし始めている人間からの「祝福」の力が、本当に

あれほど偉大な力を与えてくれるものであることを体験できたこと自体が、50を目前にして

Rolferを目指したことへの贈り物だと信じる。




よく「ユズリハ」という言葉を人生最晩年の銘のようにいわれるけれど、具体的になにを

することがユズリハになりえるのか・・今はもう迷うことがない。



ちなみに、いざアメリカの研修所(コロラド州・ロルフ研究所)にはいってみれば、わたしより

年上のクラスメイトがクラスの半分を占めていた。


すでに、学校の先生や医者やエンジニアや主婦や様々な分野でのプロとして活躍して

いながら、さらなる人生の発展を求めて、一年生になりにきていた。

みんな「いまさら・・」ではなく、「いまから・・」の人生を見つめて、イキイキと輝いてみえた。



私は東洋人特有の「童顔」ということで(日本ではごく普通なのでしょうが)クラスメイトが10歳

以上もサバをよんでみてくださっていたものだから、そのご好意に甘えて有難く若返って

すごしていた。勿論、途中で年齢は公になっていたが、気だけはそのままのサバ年齢で

とおしました。



今日もそのままサバ年齢を生きているつもりになっている。

お陰で死亡年齢が(実年齢より)10歳は若くなりそうだ。よかった、よかった。



そして、今日から「思いつくまま・・・始めました。」


                                             2005.06.04
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# by rolferK | 2005-06-04 02:19 | ワタシ