思いつくまま・・Rolfer日記

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主婦からRolferとして人生再建して12年経過。ロルフィング・ムーブメント・健康・・そして、マイペースに思いつくまま・・。

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”舞踏・身体表現”というカテゴリをつくったことで、
懐かしい思い出を沢山振り返っては、それらが今も自分の中に
色あせることなく記憶として残っていることに、小さな感動をしていました。


それと同時に、自分の中では”確かなこと”として思い出しても・・・・
どこにも、何も、記録を探すことのできない戸惑いも実感しています。


そのひとつが、マイヤ・プリセツカヤさんの”扇の舞い”です。

たった1回、偶然見ただけの2~3分の映像でした。引退後、ずいぶんとたった頃のようで、
バレリーナとしての衣装はありませんでしたが、スレンダーな暗色のワンピースに、
ハイヒールを履き、日本の舞扇と思える金色の扇を両手に・・・・
広い舞台を右に左に・・・・それは、坂東玉三郎さんの舞(CMや天照の舞台)を
思わせるような・・・・

人の動きは、最後には”歩む”という動きの洗練になるのだな~~~」と、
ひとりで納得していたことを覚えています。

38回も訪日され、日本を”第2の故郷”と呼んでいらしたマイヤ・プリセツカヤさんらしい、
東洋と西洋の橋渡しをされているような踊りでした。


ここ数日、なぜかその映像がもう一度観たくて、youtubeをたどっていたのですが、
とうとう見つからないまま・・・・5月2日、マイヤさんの訃報をきくことになりました。


きっと、天国でも美しく舞い続けられることでしょう。
武原はんさんもご一緒かしら・・・?と思えます。


哀悼の気持ちをこめて坂東玉三郎さんの"Prayer/祈り"映像です。(Yo-Yo Ma氏・伴奏)

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# by rolferK | 2015-05-05 03:08 | 舞踏・身体表現
「長くて、伸びやかなお腹」

健康にも、美容にも、必須アイテムだと信じているのですが・・・

現代はどうしてか?「短くて、硬いお腹」がもてはやされます。


10年ほど前に知ったレイチェル・ブライスさんのベリー・ダンスは、
本当に「長くて、緩やかなお腹」が美しいダンスでした。

ベリー・ダンスをwikiで引いたら・・・こんな記事がありました。

ベリーダンスは女性の肉体の「丸さ」「ふくよかさ」を前面に押し出したスタイルを採り、
痩身であることを良しとするダイエット嗜好とは対照的である。
ベリーダンスで使用されるほとんどの基本的なステップやテクニックは、
体の部分ごとに分かれた円運動である。
つまりは腰や肩を床と平行に別々に動かすのである。
wikiより

*女性の肉体の「丸さ」「ふくよかさ」を前面に押し出したスタイル・・・
ファッション・モデル体型に憧れる拒食症患者を撲滅しようと、
ファッションの殿堂フランスでもファッション・モデルに対して痩身規制がしかれたようです。

規制そのものがよいとは思いませんが、現代の美の基準が「痩身」であることには、
ちょっと残念感があります。日本でも、”女性らしさ”として、
もう少し「ふくよかさ」が評価されると嬉しいのですが・・・。
洋服のサイズ表示などを含めて、現代の日本女性は体型維持のために、
ずいぶんストイックな努力を知らず知らずに強要されているように感じます。


現代のアメリカやヨーロッパの女性たちは、ベリーダンスを身体と精神、そして霊魂を鍛錬し強化するツールとして捉えている。自らの身体に対するイメージ、自尊心、性的暴行からの回復、女性としての同胞意識、そして自己決定に関する問題は世界中に存在するベリーダンスの愛好者たちが真摯に取り組んでいる問題である。wikiより

Rachel Brice


Rachel Brice - Drum Solo



Rachel Brice paris performance 2005

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# by rolferK | 2015-05-04 02:31 | 舞踏・身体表現
狂言を初めて鑑賞したのは、中学校の文化行事でした。

人間国宝になられた野村万作氏を父にもつ”狂言界のサラブレット”として
話題だった野村萬斎さんを知ったときは、
10代の坂東玉三郎さんを知ったときに似たワクワク感を感じました。

その後、様々なジャンルに活動を広げておられますが、
これからも活躍を楽しみにしています。

安倍晴明(あべのせいめい)が題材の『陰陽師』映画化にあたって、
野村萬斎さんの起用は”いかにも”納得!

狂言師として研鑽を続けていればこその様々な所作が、
随所に印象的でした。

映画1・2のエンディングの”舞”は、今でもときどき目に浮かぶことがあるほど
印象的でした。特に『陰陽師2』の”女舞”は巫女の衣装をまとって、
本当に”神がかり”のような情熱と崇高さがあると、今も感じます。


陰陽師1



陰陽師2



参考:野村萬斎さんの三番叟(抜粋)

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# by rolferK | 2015-05-02 23:54 | 舞踏・身体表現
時々・・・本当に、フっと自分の記憶の中に残っている映像や旋律が
いつの間にかよみがえって、リフレインしてくる時があります。

『こきりこ節』と『おわら節』は、好きでよく思い出すことがあります。


ところが、昨日、ハワイのカヒコを記事にしたせいなのか・・・・?
それとも、DVD『るろうに剣心:京都大火編』をみたせいなのか・・・?
本当は、理由などいらないのですが、あまり唐突に今朝思い出した映像がありました。


それは、子供の頃に1~2回・・・それも小学・低学年のころに、
脚付きの小さな白黒テレビで、たまたまかかっていただけのNHK民謡番組で、
歌の添えに踊られていた”男踊り”です。

笠・袴・黒の紋付・白のたすき、そして腰の刀。

キビキビと鋭角に動く、笠を持った腕の動きと、
凛とした雰囲気に見惚れていたのを覚えています。

そのことを数十年も経った今朝、突然に思い出して・・・
でも、曲名もなにも覚えていません。思い出したくて画像をGoogleしました。


「麦屋節」(むぎやぶし)無形文化財:富山県の三大民謡(越中おわら節、こきりこ節)のひとつ


本当に、何も知らずに、富山県の三大民謡を子供心に記憶していました。
思い出し記念にyoutubuをupしました。
(ついでに、大好きな『江差追分(歌)』も。ちなみに田舎は山形県です。)



2010年:平高校郷土芸能部による「 麦屋節」



2010年:富山県富山市八尾町鏡町支部の皆様のおわら­踊り


鏡町支部の皆様のおわら­踊りの練習風景


こきりこ節踊り



初代浜田喜一/尺八:矢下勇/三味線:大川佳子/掛声:飯田優子 の「江差追分(本唄・後唄)」

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# by rolferK | 2015-04-29 00:43 | 舞踏・身体表現
数年あまり前になりますが、4月と9月にハワイ島コナで行われた
ロルフィング上級資格(Advanced Rolfer)研修で資格をいただきました。

研修以外にはなかなか海外にでかけることもありませんが、それ以降
4月のハワイは私たちにとって”始まりの場所”あるいは”節目の場所”として
いつも心のどこかにあり続けています。

そういえば、毎年4月はメリーモナークと呼ばれる”フラ・ダンスの世界大会”
の月です。毎年、日本からも多くのグループが参加しているとききました。
今年の大会もきっと盛大に行われたことでしょう。


私は”カヒコ”と呼ばれている”古式フラ”が好きです。
特にKe Kai O Kahiki という男性グループの「動き」と「クム(導師)の祝詞」に
惹かれます。


2009 Merrie Monarch Men Kahiko Winners



51st annual 2014 Merrie Monarch

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# by rolferK | 2015-04-27 23:42 | 舞踏・身体表現
坂東玉三郎さんの日本舞踊『鷺娘』の”さわり”部分は、
深々と降る雪景色のなかで踊られる”鷺の精”の姿に
”地唄舞のような気品”と”能のような幽玄性”が溶け合って、幾度みてもため息が出ます。

繰り返し見ていた『鷺娘』ですが、その振り付けについては
なにも知りません・・・早速Wikiで引いてみました。

そこで、3つほど興味深い話題を見つけました。


1)3つの『鷺娘』 ~現代の原型~
『鷺娘』と呼ばれる舞踊の原型は、舞踊史に3種類あるそうです。

その2番目が江戸末期、文化10年(1813年)3月中村座・三代目坂東三津五郎が
長唄と常磐津の掛合いで踊ったもの。
その後いったん途絶えて、明治19年(1886年)の新富座・九代目市川團十郎が
初代花柳壽輔の振付けで復活し、のちに明治25年(1892年)の歌舞伎座・『鷺娘』が
現行演出の基礎となっているのだそうです。


2)鷺娘の最後の演出の変化
もともとの最後の演出は、見得をするだけだったり、宙を飛び上手の方へと姿を消す演出で、
恋に身を焦がして”死ぬ”という演出はなかったようです。

それが・・・・ 八代目坂東三津五郎によれば、大正以降に『瀕死の白鳥』の影響を受けて、
鷺娘が最後のほうで息絶えるような表現をするようになった
・・・そうです。


そういえば、”日本バレエの産みの親”とよべるバレリーナのアンナ・パブロワが来日したのは、
1922年 (大正11年) です。
1907年にM・フォーキンが彼女のために振付た小品 『瀕死の白鳥』は、
当時アンナ・パブロワの代名詞になっていました。
日本全国8都市で行われた訪日公演では、当然『瀕死の白鳥』が踊られ、
多くの観客の心に深く染みていったことでしょう。

その来日公演『瀕死の白鳥』の観客の中に、『鷺娘』の振り付けを
書き換えた人がいたことは、私にとって何か”ご縁”のように思える出来事です。


今、『鷺娘』が世界中の人々の心をとらえるのは、玉三郎さんの舞踊そのものの力と、
この”鷺の最期”のドラマチックな演出によるところが大きいのではないでしょうか?

どんな伝統芸能も、常に進化し、完成への成長を続けているのだと思いました。


3)”鷺の精から娘に変化”の順序
現行の演出は、まず冬景色の舞台面に鷺の精が現れる・・・

ところが、歌舞伎での動物の扱いは、たいていはまず人間の姿となって舞台に現れ、
それがのちに動物の正体を現わすというパターンなのだそうです。

ですから、動物(鷺)の姿で舞台上に現れ、あとで人の姿になるというのは”逆パターン”で、
さらに・・・「鷺(または鳥から)人間になる」という舞台例は『鷺娘』以前には無いといわれており
当時の菊之丞をはじめとする関係者がどこからこの発想を得たのかは不明である。・・・と
書かれていました。

2)の最後の演出は『瀕死の白鳥』=大正時代の東西文化交流がきっかけでしたが、
『白鳥の湖』は江戸末期には未だありませんね。

鷺の精の姿が、やがて生き生きとした町娘の姿に変化していく演出は、
とてもオリジナルな演出だったのですね!


坂東玉三郎:『鷺娘』 始まり”鷺の精”部分 

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# by rolferK | 2015-04-23 03:43 | 舞踏・身体表現
玉三郎さん(当時40歳ごろ)の記録映画の一端がyoutubeにありました。
私も、お知り合いからVHSテープをお借りして、10年ほど前に観ています。
印象的な内容がいくつもあって、DVD化を望んでいます!!


以下のyoutubeは9分ほどのインタビューですが、4~5分あたりに
玉三郎さんの女形創造の3つの原動力を語っています。


①「武原はん先生は、自分の肩幅が広くて”舞”には似合わない体つきだった。

自分が不可能だということをまず知ることによって、自分自身に客観的になれた。

僕がそういう意味で”男”だったということが”女”をやる意味での客観視する基盤になった。」

②「その次に、僕が足を悪くした(小児麻痺)ことで、動きに対して敏感になれた。」

③「その次に、背が高すぎて(173cm=鬘をつけると190cm以上)、

今までの日本の女性が表現する女性より大きかった。

その自分が大きいということを客観的に観て、自分で分解して、料理して、

欠点だったものをプラスにしていくように・・・自分で悩んで、考えて・・・そうして創ったんです。」


すべては、「受け入れる」ことから始まり、「正しく差別(しゃべつ)」して、
よりすぐれた要素を「統合・創造する」ことなのだな~~と納得しました。


画像最後に”武原はん”女史の懐かしい、神々しいお姿が映っています。
今はyoutubeに”武原はん”さんの『ゆき』を探すことができない・・・・残念!!


二つ目のyoutubeは、2012年重要無形文化財保持者(人間国宝)になられたときの
AFPニュースのインタビュー映像です。
『書かれた顔』のインタビューに共通する姿勢が貫かれていました。



<書かれた顔> 1995 film "The Written Face (書かれた顔)" by Daniel Schmid



<AFPニュース>2012

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# by rolferK | 2015-04-19 02:45 | 舞踏・身体表現