2011年 03月 29日
産経ニュース 福島原発作業員 「それぞれの使命感」
その後次々と多くの作業員の方々が強い使命感ゆえに
懸命の作業を続けてくださっています。
人命を守る、安全を守る・・・ということは、
これほどまでに尊い思いに支えられているのだと、ただただ有り難く思います。
産経ニュースの一部ですが、永く心に留めるために記事にさせていただきました。
作業員の皆様、そして、その作業員の方々のご家族の皆様、
本当にありがとうございます。心から深く感謝もうします。
一日も早く、復旧作業の完了することをお祈りいたします。
******産経ニュース 福島原発作業員 「それぞれの使命感」 より抜粋******
根本さんは震災発生時、第1原発の事務所3階にいた。
東電の要請に応え、同僚十数人と原発に残った。
「被曝の危険性があることは分かっていたが、
復旧には私のように原発で18年働いてきたような者が役に立つ。そう覚悟を決めた」
根本さんは4日間働き続け、水素爆発に遭遇した翌日に当たる15日朝、緊急退避命令により避難した。
東電によると、第1原発では連日300~500人が働き、30日は東電社員253人、
協力会社の社員50人の計303人に上った。
1日2食に毛布1枚という過酷な環境で作業を続ける彼らの大半は地元の住民である。
東電社員の中には5日間で年間被曝線量の上限の50年分を浴びた人もいた。
■「行きます」と志願
佐藤さん(仮名)は、15日に2号機が爆発した際、
現場から5キロ地点のオフサイトセンター(緊急時対策拠点)にいた経済産業省原子力安全・
保安院の職員らが約50キロ離れた郡山市まで退避したことを挙げ、こう話した。
「誰かがやらなきゃならないことだから、やっている。
ほかの専門的な仕事と職種が違うだけのことだと思う。
保安院の人たちもそこに作業員がいる限り、とどまるのが仕事ではないか。
専門家が住民より遠くへ逃げたら、誰を信じればいいのか。
そういう人たちがいるから、原発へ行く者が英雄視されるのではないか」
■応援組「国民のため」
復旧作業には、地元住民ら作業員だけでなく東京消防庁のハイパーレスキュー隊や自衛隊、
警視庁などの「応援組」も放水活動のために駆けつけた。
大阪市消防局は53人が20日夜から90時間、東京消防庁の活動を支援した。
本人の意思を確認した上で、職務命令が出される事実上の志願だった。
指揮を執った片山雅義警防担当課長代理(48)は「東京消防庁が孤軍奮闘、
国民のために命がけで戦っているのを、同じ消防職員として見過ごすわけには
いかない思いだった」と語った。
「私の息子は24歳だが、ほぼ同じ年齢の東京の隊員が体を震わせながら、
『任務ですから』とだけ言い残して出動していった」
原発から約20キロ地点の前進基地から、800メートル地点の指揮所まで
サイレンを鳴らし移動中、自分たちに向かってお年寄りら6人ほどの住民がおじぎをした。
片山さんは「腰を90度まで曲げて、深々とおじぎをされた。
その姿を見て、これは絶対に何かお役に立って帰らなければと思った」と話した。
■「仲間のために私は行く」
第2原発で第1原発の復旧を支援する東電の女性社員は本社の上司へ次のような電子メールを送った。
《実家の両親も津波に流され、いまだに行方がわかりません。すぐにでも飛んでいきたい…。
被災者である前に、東電社員としてみんな職務を全うしようと頑張っています。
私たちは最後まで戦います》
発生当初から復旧作業に当たり、現在は避難生活を送る根本さんは、来週にも第1原発へ戻るという。
「消防や自衛隊の方は公務だから、われわれ会社員とは使命感の持ちようも異なるかもしれない。
3号機で被曝した3人の中には私の部下もいる。少ない人数で頑張っているのを知っている。
むろん、行かなくても誰も責めないだろうが、自分がよしとはできない。仲間のために私は行く」
■協力会社
東芝や日立製作所といった原子炉メーカーや関電工などの設備工事会社、その下請け、孫請けを指す。
東京電力は「一般的にいう下請けのことだが、地元に密着した原発を目指す理念から『協力会社』と
呼んでいる」(総務部)と説明。
震災前まで福島第1原発では東電約1千人、協力会社約4千人の計5千人が働いていたが、
復旧作業は東電社員が8割以上を占めている。
東電は「協力会社側の人繰りが難しいためと、東電の事故だから率先して作業に当たっている」(同)
としている。