2006年 06月 25日
『場』という空間のこと~rolfer's eye no.56へ
書きました。
その中に『場』という言葉を使ったのですが、その『場』への私なりの説明です。
このブログのリンク先にyutaさんの「こころが生ずる場」というブログがあります。
詳しくは存じませんが、児童の心理面での発達について研究されているように
お見受けしています。
生活の中でも、家庭・家を家族の「生活の場」と呼んだり、「場がしらける」「場を荒らす」
「場を見失う」「場にふさわしい」「場に馴染む」「場が盛り上がる」「場数をふむ」
「場をあらためる」・・・(もっとよい例が沢山あるでしょうが)とにかく「場」です。
舞台でも幕・場という区切りを用いますが、さて「場」についてマジメに考えた事はありま
せんでした。にも関わらず、「場」という言葉を選択的に使用してきました。
では、私にとって「場」とは何?・・と考えてみると・・・・・
以外にも「宇宙創造の根源的なスケール」に思い至りました。
実際に体感できる「3次元物理的空間」という体積的な広がりを内包しているものが「場」でした。
そして、さらに「場」とは思考的なエネルギーベクトルを有しています。
これは、日常的には人の「暗黙の了解」のもとに作り出されることが多いようですね。
一般人間社会的には集合想念というエネルギーを有した空間といえるのでしょうか。
けれども、この『場』というものは3次元物理的空間のことではない!という
気付きは大きかったと思います。
でなければ、身体感覚を基準に自己を観るとき、肉体の範囲を超える事ができませんから。
(自分・自己・自我・・この使い分けを只今考案中です。)
実際には、場と3次元物理的空間・場所が重なっている(場が3次元物理的空間を内包
しているから)ので、ほとんど区別して認識される事がないままに過ごす事ができます。
が、身体が物理的存在だけではない事を想像すると、こうしたニュアンスの違いは
大きな意味合いをもってくるのかもしれません。
屁理屈こねるのが大好きな性質なんでしょうね。
今日もわかりづらくてすみません。いずれ、自分がもっとわかったらもっとわかりやすく
お話が出来るようになるはずです。
どんなことでも「誰にでもわかる」位に自分が「わかる」ことを願っています。