2007年 06月 07日
ハハ と 歩けば・・・ 「よき日」の身体感覚
毎日顔を見ていても、ハハの年くらいになると”生体反応”が穏やかで
すぐには表面に現れてくれないのですね。
でもその日は流石に”ハハの両耳が赤く”色づいて、熱がいつもより5分ほど高めでした。
ブログにこんな事から書き出したのには、お話したいことがあったからなのですが・・。
いざ、書く段になって「義母」という表現も「母」という表現もシックリしなくて・・・
何気なく書いた「ハハ」が一番気に入りました。
一般的には、ちょっとヘンな表現なのかも知れませんが・・・でも、軽やかでいいでしょう?
で、そのハハの肺炎で一週間の通院点滴治療を終えた矢先に、「結核の疑い」!?を
言い渡されて、大きな専門病院の検査を受けに行ったのですが、不思議とハハも私も
すっかり「お出かけ気分」で・・・・この日ほど、ハハと一緒に居ることを楽しい~~と
思ったことがないのではないかしら???と思えたほどでした。
Rolfingを通して、「私」が「私本来の場所」を取り戻すプロセスをゆっくりと進んでいる
ことが、そのまま「ハハとの距離感」を「本来ある場所」に導いているように思えたことを
嬉しくも感じました。
ありがちな長い検査待ちの時間、私達が行った病院にはハハが「散歩」を愉しむ事が
出来るほどの広々とした敷地がありました。
新緑の光る木々には、まだ熟してはいない小さな実やこれから咲く蕾が見え隠れして、
その一つ一つを「鬼ごっこ」のように探して歩く事がハハには楽しそうでした。
そんなハハの横を歩きながら・・・ふと気付くと、ハハの足取りのなんと
しっかりしている事でしょう。
いつもなら、人前ではヨロヨロとした自己イメージでしか表現しないハハが、
とても力強く、一歩一歩を踏みしめて歩いていくのです。
そのハハの足元は、刈ったままの芝が積み重なったフカフカでデコボコの芝生です。
でも、その芝生がわたしたちの体を”優しく”そして”しっかりと”受け止めてくれている事を、
ハハの体も、私の体も間違いなく感じ取って反応(歩く)しているのです。
いつもなら5分ともたないハハが、30分以上も疲れた風もなく散歩を楽しめたのは、
ハハの中の「身体記憶」がハハを歩かせてくれていたからだろう・・と、そう思えました。
きっとその時、ハハの体は”よき日”の自己イメージの動き方を無意識に
選択して使っていたに違いありません。そしてそれは、フカフカでデコボコの芝生がハハの身体によびかけたことへの
素直な反応だったのでしょう。
戻ってきた病院の艶やかに磨かれた廊下を頼りなげに、しんどそうにヨタヨタと歩く
ハハに「人の体と無意識下の自己イメージ」の鮮やかな対応を感じながら、
そのハハの「よき日」にむかって声がけを続けていこう・・・・・・と、なにか少し
楽しみにさえ似た気持ちに出会えたことを「誰かに」感謝してみました。
*おかげさまで、ハハの結核の可能性もとても低そうです。ただ、培養検査には6週間を
要するのだとか・・・。よい結果を信じて待ちましょう。