2008年 04月 02日
蓮華 微笑 ~レンゲ ミショウ~
ブラジルの研修中に、主人の母が急逝いたしました。
80も過ぎておりましたし、けして健康ではありませんでしたが、
やはり”急なこと”でした。
勿論、研修は中断し、急ぎ帰国いたしました・・・・。この間、本当に多くの方々の御助力と
支えの中で過ごさせていただきました。
ひとつひとつにエピソードがあり、記憶に残るだけでも”有難い話”が
一冊の本になるほどありました。
その1つ1つが、亡くなった母からのメッセージでもあるように思えて
また感慨深く思い出します。
ただ1つ、このブログで御紹介させていただきたかったことが亡母の「戒名」に
関わるお話です。
縁起でもない・・・・と思われた方には、先んじてお詫び申します。
主人の母の名前の「笑」という一文字をとって、檀家先の専龍寺院主様が「微笑」(ミショウ)と
してくださり、それに対して本山の京都・西本願寺より「蓮華院」という院号を
いただいたのだとお教えいただきました。
母の戒名となった「蓮華微笑」(レンゲミショウ)には、以下のような仏教故事が
あるそうです。
釈尊が霊鷲山の頂でご説法をされるおり、 梵王が金波羅華(蓮の花)を献じた。
弟子より「悟りとはどういうものか」と問われた釈尊は、一言も語らずに
手に持っていた蓮の花をかすかに捻ってみせられた。
多くの弟子達がその真意を解せずにいるとき、十大弟子のひとりである摩訶迦葉だけが
釈尊の意を解して微笑んだ。・・・・・
この故事の正しい語源?は『拈華微笑』(ネンゲミショウ)・・・(拈は捻で、花を捻ったこと)で
あるようですが、いただいた戒名の「蓮華」が美しく思います。
この戒名をいただいたとき、本当に”ああ、そうだったのですね・・・!”と
心から今までのいたらない自分の思いを諭されたような静かな衝撃でした。
”以心伝心”、言葉とは別の方法で互いに相伝え合う・・・・拈華微笑の間柄
今まで”解せない思い”のままに残っていた様々な出来事も、この言葉に出会えた事で
私の理解不足であったことを素直に認め、受け入れることができるように思えるのです。
「ああ、お母さんは分かってくれているんだな~~~~」とそう思えると
自分の意固地が気持ちよく溶けさって、あとには自分の未熟さへの反省と、
だからこそこれからの成長を母から期待されているように思えます。
戒名で呼ばれて返事をする霊人(あの世の人)は誰もいない・・と訊いた事があり、
なにゆえに戒名などつけるのかしら・・・?と思ったりしますが、母の戒名からは
”座右の銘”とも思える置き土産をいただきました。
すでに法要も済み、ようやく仕事に復帰いたします。
母から譲られた”道”をしっかりと前進していこう・・・今改めて思います。